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内発的なものと外発的なもの(Inside-Out インサイドアウト)

最近、横浜に行く機会が多かったのでKindleに沢山本を詰め込んで移動中読むことが多いのですが、
中でも著作権の切れてしまった昔の本はタダです(知ってました?)。

丁度、今執筆中の本ともテーマが重なるので、
この歳になってですが夏目漱石や福沢諭吉の本、エッセイを読んでいます。
もともと世界史オタクで、その後、日本史オタクにもなりましたがこの明治期に書かれた本は今読むと凄く当時の人の葛藤が今のように見えてきますね。

たまたま、昨日は夏目漱石の「現代日本の開花」という(これは講義で使うようのエッセイのようなもの)を読んでたんですが、その中に、「内発的文明」と「外発的文明」というテーマがありました。

この講義は明治44年なので、既に明治の御一新からかなりの年月が経過しています。
当初は、欧米列強に植民地化されないように追いつけ、追い越せでやってきた明治日本も日清・日露戦争という局面を乗り切り一気に列強の一角にのし上がり始めた時期。

良くも悪くも欧米が100年以上かかって作り上げてきた近代文明をわずか10年かそこらでスポンジのように吸収して追いついた日本ですが、まさに幕末に結んだ不平等条約もこの明示44年に条約改正で小村寿太郎が解消させています。

そんなちょっと自信を持ち始めてきた日本に対してこの夏目漱石のエッセイは痛烈な警告を与えているなと思って読んでいたのですが、その中でも面白かったのが内発的な文明と外発的な文明のトピック。(こうして読んでるとやっぱり、夏目漱石お札復活させてほしいね)

日本にとっては当初は追いつくためにはやむを得ず、欧米の風習から何まで全て真似して吸収したけど、それは外のショックに対してやむを得ず反応しただけのこと。つまり外発的。自分の頭で葛藤し、もがいて手に入れた文明ではなくこれはいずれどこかで矛盾をきたすだろう、というのが夏目漱石の趣旨だったようです。

今の日本を見てると明治維新があったからこそ出来たことも沢山あるけど、逆にこの内発面が弱かったことがボディーブローのように効いているなぁと思うことはありますね。明治維新に戻るのも大変なので、最近で言うとこの70年くらいは。

同じように自分個人に落としこむとこの内発的なものと外発的なものとどう付き合うかというのもとっても大事だと思います。

これはこないだ書いた7つの習慣ではインサイドアウトの法則として紹介されているんですが、
インサイド・アウトとは、

・ まず最初に自分の内面を変化させること
・ それから自分の外側に影響を与えること

これが原則だと書かれています。

私たちは私たちの身に何かが起きた時、「あ、こうだ」って思考を働かせ、出来事に解釈を持たせます。
それが良い出来事なのか、悪い出来事なのかは、私たちの思考次第なのです。

よく、「世の中を変えなければならない」とか「この制度を変えなければならない」という議論があります。
結果論としてはそれはいいんだけど、もし、世の中を変えるんだったら真っ先に変えるべきは自分の外側ではなく自分自身なんですよね。

この言葉に真理があるような気がします。

世界に秩序をもたらしたいならば、我が国が最初に変わらなければならない。
我が国が変わるためには、私の故郷を建て直さなければならない。
私の故郷を建て直すには、まず私の家族を正さなければならない。
私の家族を生まれ変わらせるには、まず私自身が生まれ変わらなければならない。
―A・パーネル・ベイリー

なんか、月末なのにちょっと分かりにくいかもしれないけど周りを変えよう、あるいは、影響を与えようと思う時は真っ先に自分自身を変える、ということでしょうね。