目立つものではなく、大事なことにフォーカスする(皮膚病と内臓の病)

今日のハッとしたことは、別に皆さんを励ますつもりだけ、というよりは、
物事の捉え方という意味ではあらゆるケースで、この考え方って私達全体にとっても
大事かなと思ったので書いてみました。

人間って、問題が発生すると基本的にその問題の出来事そのものに
反応することはしますが、その問題の背景にある根本的なことが何かを想像したり、
その根本的なことに取り組むことをしないことが多いものです。もしくは、逆にその出来事に過度に反応するが
あまりに、大事なことを犠牲にしてしまうこともあります。

よくこのテーマを話す時に出てくる例が、公害問題と経済問題。
あるいは、現在進行中のテーマでいろんな意見があるのでしょうからあまり例としては出しにくいですが
福島第一原発の件からでてきた、原発と日本の電力の議論などでしょうか。

今も進行中のテーマですと、生々しすぎるので昔の公害問題を例えにしましょう。
1960年台から70年台にかけて、オリンピックなどを経て日本は一気に経済が発展して世界第二位の経済大国に
なりました。ただ、その成長の代償として公害問題が全国で発生して、大変な成長の副作用もありました。

この時も今の原発と似ていて、2つの反応があったようです。
1つは、「公害問題はもちろん問題だけど、この問題を解決するためにもお金も技術も必要。だから経済は成長させないといけない。」という議論と、
もう1つは、「もう公害問題は金輪際だ。まずは、工場を全部止めて、工場で働いている人が失業してでもこれ以上の公害は発生しないほうがいい」という議論。

結果的には、あの時代の日本人はバランスのある大人の対応をとりました。

つまり、公害というのは1つの問題であることは事実だけども、その公害問題の背景にある本当の問題は
当時の日本の企業に環境対応などの技術力がなかったこと。だからその技術力をつけたり、省エネ化していくためにはお金も人も必要。
つまり、逆説的だけど、公害問題は引き続き発生しつつも、工場を動かしてお金を稼いだ。そして、目先の公害問題には対応しつつも、
こうした環境対応の仕組みづくりといった根本的な問題に稼いだお金を使うことに注力しました。

その結果、日本は工場も引き続き稼働してお金も稼ぎながら、そのお金で環境問題にも対応することができたのです。
そして、そのお陰で日本製品は環境にも配慮した製品だというブランドもつくりあげるという2次的な効果もありました。
かつては、多摩川もとてもきたない川でしたが、今ではアユが遡上するほどまで水もキレイになりましたよね。

もし、あの時、工場はいらないと全部潰しちゃったらどうなってたでしょう?
多分、経済は発展しなくて、みんな仕事もなくて社会も混乱したりと別のもっと大きな問題に
つながってた可能性が高いですよね。もちろん、これは何が正しいという結論はでません。

今回のケースでもある一人のお客様の声を頂戴した時に私達はその声をどのように
解釈するかというテーマがあります。

一つの可能性は、その声に対してそのまま反応してしまうこと。
そして、もう一つは、その背景までしっかりと考えてみて本質的になにがテーマなのかを類推して
そのテーマに対して取り組むという対応法があると思います。

お客様からの声の中にはひょっとすると、他の声の出ていない方も同じ意見かもしれない
私達の取り組むべき課題やテーマがあることもあるでしょう。あるいは、とあるお客様にとってはこの方が良いという希望であっても、
実は、残りの大多数の声を出さないお客さまにとっては今のほうが良いかもしれないこともあるかもしれません。

つまり、常に普段から何が本当に大事なことなのかを考え続けることが大事であって、
でてきたものにとりあえず反応するというのは本当にやむを得ない時だけにすることが大事なんじゃないかなということですね
今回のタイトルで皮膚病と内臓疾患の例えをつけてますが、
これは、日本と中国(今の中国ではなくて国民党)が戦争をしていた時に、
当時の中国の指導者だった蒋介石が言った言葉です。

当時、国民党の中国軍は沿岸部では日本と日中戦争を戦っていました。
一方で、内陸部ではソ連の支援を受けていた毛沢東率いる共産党が農村部を徐々に自分たちの
勢力圏に取り組んで力をつけていました。

その時に蒋介石が例えで言ったのは

「日本との戦いは目の前に見える皮膚病のようなものである。」
「一方で、見えないけど今、中から切り取られている毛沢東の勢力は命に関わる内臓疾患だ。」
「自分はしたがって、皮膚病ではなく内臓疾患を取り除くことからしなければならない。」

と言って、毛沢東との戦いを優先させました。
蒋介石は日本に留学して、日本の軍隊で勤務もしています。
また、日本語もペラペラで、日本の政治家、軍人を含めて日本に多くの知人もいました。
相手の手の内をすべて知っていた彼にとって、どっちが自分にとって本当に強敵かを理解していたのでしょう。

残念ながら、蒋介石はその後西安クーデーターで監禁されて強制的に
戦いの相手を日本とすることに同意してしまうことになり、日中戦争は泥沼化しちゃいました。
その後、日本はアメリカに負けて中国からも撤退するんですが、その頃には、蒋介石が日本と戦っているうちに
毛沢東はコツコツと農村部で実力を養っていて、その後、国共内戦(蒋介石と毛沢東の戦い)が発生します。

そして、当初、蒋介石が内臓疾患と恐れていた毛沢東に敗北し台湾に逃げることになり、
蒋介石は「あの時やはり、皮膚病ではなく内臓疾患から対処していればよかった」と悔やみながら
中国大陸を去ったそうです。

↓ ここからは余談ですが、面白いのでちょっと書いてみました。

中国大陸から蒋介石を追い出した毛沢東は次に台湾へ攻め込もうとします。
実は、その時に蒋介石の軍を助けたのは、かつて自分と戦って蒋介石が勝つことができなかった日本軍の
根本中将とおじさんです。

もはや、台湾も守れないし、自分の命もないと思った蒋介石は最後の望みをかつてのライバルだった
根本さんに託します。また、根本さんは日本が中国大陸から撤収するとき、蒋介石に大変お世話になっていて、
その恩返しをする機会を伺っていたので、家族には「釣りに行ってくる」と伝えて、船に乗って台湾に行き、そこで
蒋介石と再会。軍事顧問になり、蒋介石を助けます。

この時根本さんが立案した台湾防衛の作戦もまさにこの皮膚病と内蔵病の例えの通りで、
中国大陸にわずかながら残っていた国民党の拠点を放棄させて、あえて、守りやすい金門島という島に
残った国民党の兵力を集中させることで、もはや国民党軍には戦う余力もない、と舐めてかかってきた毛沢東の軍隊を完膚なきまで潰滅させます。

その後、根本さんは蒋介石からのお礼も断り、また、行きしに担いでいた釣りざおををもって
「ただいま」と行って日本に帰国します。そして、この事は、最近まで日本では知られることもなく、根本さんはひっそりと亡くなったそうです。

震災の時も台湾はすごい額を日本に寄付してくれましたよね。

根本さんに興味のある方はこちらをどうぞ。
実話ですが、映画よりも面白いストーリーです。
http://blog.livedoor.jp/archon_x/archives/7113884.html





 
 


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