英語にはなぜ文法上の性がない?古英語・he・sheとジェンダー

古英語の男性・女性・中性から現代英語への変化を描いたアイキャッチ

フランス語やドイツ語を学んだことがある人は、名詞に「男性」「女性」「中性」があると知って驚いたかもしれません。フランス語の本は男性名詞、家は女性名詞。ドイツ語では太陽が女性名詞で、月が男性名詞です。

一方、現代英語のbookhousesunmoonには、文法上の男性・女性という区別がありません。ところが人を指す代名詞にはhesheがあり、物にはitを使います。

英語は最初からこの姿だったのでしょうか。

実は、古英語には男性・女性・中性という三つの文法上の性がありました。名詞だけでなく、冠詞や形容詞もそれに合わせて姿を変えていました。現代英語は、その大きな仕組みを歴史の途中で失いながら、代名詞の一部に性の区別を残した言語なのです。

しゅみすけ(大山俊輔)

「男性名詞」は男性が使う名詞でも、男性らしい物でもありません。まず文法上の分類と、人の性・ジェンダーを分けて考えることが、この話の入口です。

文法上の性とは、名詞を分ける分類システム

文法上の性(grammatical gender)は、名詞をいくつかのクラスに分け、そのクラスに合わせて冠詞・形容詞・代名詞などの形を変える仕組みです。名称として「男性」「女性」「中性」を使う言語が多いものの、必ずしも現実の生物学的な性と一致しません。

ドイツ語では「少女」を意味するMädchenが文法上は中性です。フランス語の太陽soleilは男性名詞ですが、ドイツ語の太陽Sonneは女性名詞。同じ天体が、言語によって異なるクラスへ入ります。

これは、太陽そのものに男性性や女性性があるからではありません。それぞれの言語が、歴史の中で名詞を異なるグループへ分類してきたからです。

言語学でいうgenderは「種類・分類」という古い意味を背景に持ちます。現代社会で語られる性自認や社会的ジェンダーと重なる部分はありますが、同じ概念ではありません。文法上の性は、まず語同士の一致を動かす言語のシステムです。

古英語には男性・女性・中性があった

英語はゲルマン語派に属する言語です。現在もドイツ語やアイスランド語などが文法上の性を持つように、古英語にも男性・女性・中性の三分類がありました。

たとえば古英語では、おおむね次のような名詞が異なる性に属していました。

  • stān(石)― 男性
  • bōc(本)― 女性
  • scip(船)― 中性

石が男性的で、本が女性的で、船が中性的だったという意味ではありません。名詞が属する文法クラスが違い、それに応じて指示詞や形容詞の語尾が変わったのです。

現代英語では、どれもthe stonethe bookthe shipと同じtheを使います。しかし古英語では、後にtheへつながる指示詞も、名詞の性・数・格に応じてsesēoþætなどの形を取りました。

つまり古英語の話し手は、名詞を使うたびに、その名詞がどの性に属し、文の中でどの役割を持つかを、周囲の語の形にも反映させていました。現代英語から見ると、かなりドイツ語に近い世界です。

なぜ英語から文法上の性が消えたのか

古英語の三つの文法上の性と現代英語のhe she it theyを比較した図

文法上の性が失われた背景には、一つだけの劇的な事件があったわけではありません。古英語から中英語へ移る長い過程で、複数の変化が重なりました。

語尾の音が弱まり、区別しにくくなった

古英語では語尾が、性・数・格を伝える重要な仕事をしていました。しかし、強勢を持たない語尾の母音は次第に曖昧になり、似た音へ合流したり、消えたりします。

語尾の違いが聞こえにくくなると、「この形だから男性」「この形だから女性」と周囲の語を一致させる手がかりも弱くなります。性を示す仕組みは、単独のラベルではなく、名詞・冠詞・形容詞の一致によって支えられていたため、その網の目全体がほどけていきました。

格変化の衰退と同じ大きな流れにあった

文法上の性の消失は、格語尾の衰退とも切り離せません。英語は語尾で主語・目的語などを示す仕組みを縮小し、その仕事を固定した語順や前置詞へ移しました。

英語で語順が重要になった歴史と同じく、性の一致も、豊かな語尾変化が失われる大きな再編の一部でした。英語は文法を捨てたのではなく、情報を載せる場所を変えたのです。

言語接触も変化を後押しした可能性がある

ヴァイキング時代以降、古英語と古ノルド語の話者は長く接触しました。両言語は近縁でしたが、語尾や性の割り当てが常に同じだったわけではありません。さらにノルマン征服後にはフランス語との大規模な接触も起きます。

異なる言語の話者が意思疎通する環境では、意味の中心ではない語尾の細かな一致が不安定になりやすいという説明があります。ただし、英語が性を失った原因を「ヴァイキングが来たから」と一つに決めることはできません。音の変化、方言差、語尾体系の崩れ、言語接触などが絡んだ長期的な変化と見るのが安全です。

英語は「性を失った」のではなく、代名詞へ残した

現代英語の普通名詞には、基本的に文法上の性がありません。a tablea chairも、性によって冠詞や形容詞が変わることはありません。

しかし三人称単数代名詞には、hesheitという区別があります。このため、現代英語は「文法上の性を完全に持たない言語」というより、主に代名詞に性の区別を持つ言語と説明されることがあります。

古英語では代名詞も、名詞の文法上の性に合わせることがありました。現代英語では、普通は名詞がどのクラスに属するかではなく、指している対象の性や人間性に基づいて代名詞を選びます。

  • 男性として言及する人:he
  • 女性として言及する人:she
  • 多くの物・概念・性別を問題にしない動物:it

これは「文法的な分類」から「指している対象の性質」に重心が移った変化です。古英語のbōc(本)は女性名詞でしたが、現代英語のbookを受ける代名詞はitです。語のクラスではなく、現実世界で何を指すかが優先されます。

船や国をsheと呼ぶのは、文法上の女性名詞だから?

英語では、船や国、車などをsheで受ける伝統的・擬人的な用法があります。しかし、これは古英語の文法上の女性名詞が、そのまま残ったものと単純には言えません。

対象を人格化し、愛着や敬意を込めて女性として描く慣習です。現代の一般的・中立的な文脈では、船や国にもitを使うことが普通です。

「英語では船は女性名詞」と説明すると、フランス語やドイツ語の文法上の性と混同します。現代英語のshipという名詞そのものが女性クラスに所属し、冠詞や形容詞を一致させるわけではありません。sheは話し手が選ぶ擬人化であって、名詞に固定された文法上の性ではないのです。

he・sheだけでは指せないとき、theyが働く

人を指していることはわかっていても、性別がわからない、重要ではない、あるいは本人がtheyを代名詞として用いる場合があります。そこで現代英語では、単数の人を受けるtheyが広く使われます。

  • Someone left their umbrella.
  • If a customer calls, tell them I’ll call back.

単数のtheyは、近年になって突然作られたものではありません。性別を特定しない単数の人を指す用法は、中英語期の14世紀末には確認され、その後も長く使われてきました。現代では、未知・不特定の人だけでなく、ノンバイナリーの人など本人が望む代名詞としても用いられます。

英語は名詞の文法上の性を失いましたが、人を指す代名詞の選択には社会的な意味が残っています。文法史と現代のジェンダー表現は同じ話ではないものの、「言語が人をどう分類し、どう指すか」という場所で交差しています。

しゅみすけ(大山俊輔)

代名詞は小さな語ですが、「その人をどう認識し、どう扱うか」が表れます。わからないときは、決めつけずに名前やtheyを使うという選択もできます。

日本語には文法上の性がないのか

日本語の普通名詞にも、フランス語やドイツ語のような文法上の男性・女性はありません。「本」や「家」の性に応じて、助詞や形容詞が変化することはありません。この点では現代英語と似ています。

一方、人を指す言葉には性差があります。「彼」「彼女」、あるいは「僕」「俺」「私」など、一人称にも話者の性別・世代・場面と結びつきやすい選択肢があります。ただし、日本語では主語や代名詞そのものを省略できるため、英語ほど毎文he・she・theyの選択を迫られません。

ここでも、英語が主語を必要とし、日本語では省略できる理由が関わります。英語は代名詞を文の骨格へ置く頻度が高く、日本語は名前・役職・関係性を示す語を使ったり、文脈からわかれば省いたりできます。

両言語とも普通名詞の文法上の性は持ちませんが、人の性や社会的立場を言葉へ映す場所は異なるのです。

文法上の性が消えて、英語は簡単になったのか

名詞ごとに性を覚え、冠詞や形容詞を一致させる必要がない点では、現代英語は学習者にとって負担が小さいと言えます。theは男性・女性・中性で形を変えず、形容詞も名詞の性に一致しません。

しかし、言語は一か所が簡単になると、必ずすべてが簡単になるわけではありません。英語は語尾の多くを失った代わりに、語順、前置詞、冠詞、助動詞などへ多くの情報を担わせるようになりました。

文法上の性を失ったことも、英語の特徴を日本語と比較するときに見えてくる大きな再編の一部です。現代英語は「変化しない言葉を一定の順序へ並べる」方向へ進みました。

名詞の側では格や文法上の性が大きく衰えた一方、動詞の側には、出来事を発話時から位置づける仕組みが骨格として残りました。次は、英語はなぜ時制を明示するのか、日本語との時間の捉え方の違いから、英語が「時間」をどこへ書き込む言語なのかを見ていきましょう。

まとめ|英語は名詞の性を失い、人を指す性を残した

現代英語にフランス語やドイツ語のような文法上の性がないのは、英語が最初から性を持たなかったからではありません。古英語には男性・女性・中性があり、冠詞・形容詞・代名詞が名詞の性に応じて変化していました。

しかし、強勢のない語尾が弱まり、格変化と一致の仕組みが崩れ、言語接触や方言間の変化も重なる中で、名詞の文法上の性は中英語期にかけて失われていきます。

  • 古英語:名詞そのものが男性・女性・中性のクラスに属した
  • 現代英語:普通名詞には原則として文法上の性がない
  • 代名詞:he・she・itを中心に、指している対象に基づく区別が残る
  • they:性別が不明・不問の人や、本人が選ぶ代名詞として単数でも使われる

英語は性を完全に消したのではありません。名詞の内部に固定されていた性の分類を手放し、人をどう指すかという代名詞の領域へ残しました。

文法上の性の歴史を知ると、he・she・it・theyは単なる代名詞一覧ではなくなります。そこには、英語が千年かけて物の分類をほどきながら、人と世界をどう指し直してきたかが刻まれているのです。

参考資料

英語の基本・構造をまとめて読む

語順・主語・冠詞・数・時制・アスペクト・助動詞・疑問文・受動態などのつながりは、中間親記事「英語の基本・構造とは?」で体系的に確認できます。

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この記事を書いた人
しゅみすけ(大山俊輔)

b わたしの英会話および英語コーチングGRIT/be:RIZE代表。米国MBA取得、外資系企業4社での勤務経験を持ち、これまで多くの大人の英語学習を支援。日本語と英語の処理構造の違いに着目した「英語OS」の考え方をもとに、独学で伸び悩む人の学び直しをサポートしています。

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