
英単語の意味は、その単語が指す物の中に最初から入っているのでしょうか。それとも、ほかの単語との関係によって決まるのでしょうか。
この問いを考える出発点となった人物が、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure、1857–1913)です。ソシュールは、言語を単語の寄せ集めではなく、各要素が互いの違いによって価値を持つ体系として捉えました。
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最初に結論|ソシュールは「言葉そのもの」から「言葉同士の関係」へ視点を移した
ソシュールの重要性を一言でまとめるなら、言葉を個別に眺めるのではなく、言語全体の関係の網の目の中で理解しようとしたことです。
彼に結びつけられる主要な区別は、次の3組です。
| 区別 | 簡単な意味 | 問い |
|---|---|---|
| ラング/パロール | 社会で共有される体系/個人の具体的な発話 | 言語学は何を対象にするのか |
| シニフィアン/シニフィエ | 音・文字のイメージ/概念 | 言葉はどのように意味を持つのか |
| 共時態/通時態 | ある時点の体系/時間に沿った変化 | 現在の仕組みと歴史をどう研究するか |
これらの考えは、後のヨーロッパ構造主義、記号論、文学理論、人類学などへ大きな影響を与えました。ただし、後世の「構造主義」をすべてソシュール本人が完成させたわけではありません。
しゅみすけ(大山俊輔)
フェルディナン・ド・ソシュールとはどのような人物?
ソシュールは1857年、スイスのジュネーヴに生まれました。若くしてインド・ヨーロッパ語族の母音体系を扱う研究で注目され、比較言語学者として出発しました。その後、パリやジュネーヴで研究・教育を行い、1907年から1911年にかけてジュネーヴ大学で一般言語学の講義を担当しました。
現在もっとも有名な『一般言語学講義(Cours de linguistique générale)』は、ソシュール自身が完成原稿として出版した本ではありません。彼の死後、シャルル・バイイとアルベール・セシュエらが、学生の講義ノートなどをもとに編集し、1916年に刊行しました。
したがって、「本に書かれた一文=ソシュール本人が最終的に確定した文章」と単純には言えません。後に自筆草稿や別の講義ノートが研究され、編集版がソシュールの思想をどこまで忠実に表しているかも検討されてきました。それでも同書が20世紀の言語学と思想へ与えた影響は非常に大きなものです。
ラングとパロール|共有された体系と個人の発話
私たちは毎日、違う文を話します。言い間違いもあれば、途中で文を変えることもあります。それでも日本語話者同士が理解できるのは、語彙や文法、音の区別など、一定の約束を共有しているからです。
- ラング(langue):共同体で共有される言語の体系・慣習
- パロール(parole):個々の話者が行う具体的な発話・言語使用
たとえば、誰かが「昨日、駅で友達に会った」と言う行為はパロールです。一方、「昨日」が過去を指し、「駅で」の助詞が場所を示し、「会った」が過去形であるという共有された仕組みはラングに属します。
ソシュールは、個々の発話の背後にある社会的な体系を言語学の中心的な対象に据えました。これは、前の記事で扱ったチョムスキーのcompetence/performanceと一見似ていますが同じではありません。ソシュールのラングは社会で共有される制度としての側面が強く、チョムスキーのcompetenceは個人の心に内在する言語知識を理想化した概念です。違いはノーム・チョムスキーと生成文法の記事と比べると明確になります。
言語記号とは?シニフィアンとシニフィエ
ソシュールの言語記号は、単純に「単語」と「現実の物」を直接結ぶモデルではありません。記号は、次の二つの側面が結びついたものとして説明されます。
- シニフィアン(signifiant):音のイメージ。後世には文字など記号の表現面を含めて説明されることもある
- シニフィエ(signifié):その記号が呼び起こす概念

英語の音の連なり tree と「木」という概念の結びつきが、一つの言語記号を形作ります。ただし、ここで現実世界にある個別の木そのものと、頭の中の概念を区別する必要があります。
記号の恣意性|treeが「木」でなければならない必然はない
英語では tree、日本語では「木」、フランス語では arbre と言います。同じような概念を異なる音で表せることからも、音の形と概念の結びつきに自然必然的な理由がないことが分かります。これが記号の恣意性です。
ここでの「恣意的」は、話者が今日から勝手に別の意味へ変えてよい、という意味ではありません。結びつきは歴史的・社会的な慣習として共有されているため、個人にとっては自由に選べません。
また、擬音語、音象徴、形態と意味の規則的な対応など、音と意味の関係が完全に無関係とは言い切れない現象もあります。現代の研究では、恣意性を基本原理として認めつつ、類像性や音象徴との組み合わせも検討されています。
意味は「差」から生まれる|言語の価値という考え方
ソシュールの体系観で特に重要なのが、言語の要素は、それ単独で正の内容を持つだけでなく、ほかの要素との違いによって価値を持つという考えです。
英語の river と stream、日本語の「川」と「小川」は完全な一対一対応ではありません。各言語でどの範囲をどの語が受け持つかは、周囲にある語との境界によって変わります。
色の語も同じです。連続して変化する色彩のどこに境界を引くかは、言語ごとにまったく同じとは限りません。ある語の価値を知るには、辞書の一行だけでなく、その言語体系で何と対立し、何を含み、何を含まないかを見る必要があります。
これは「言葉の意味は誰かが一度決めたら固定される」という見方とも異なります。意味と共同体の関係については、言葉の意味は誰が決める?で詳しく扱っています。
共時態と通時態|現在の体系と歴史的変化を分けて見る
ソシュール以前の19世紀言語学では、音の変化や語源、言語の系統関係を研究する比較言語学が大きく発展していました。比較言語学者として出発したソシュールも、歴史研究の価値をよく知っていました。
そのうえで、彼は二つの視点を区別しました。
- 共時態(synchrony):ある時点の言語体系を、その時点で成り立つ関係として調べる
- 通時態(diachrony):時間の経過に伴う言語の変化を調べる
たとえば、現在の英語で go の過去形が went であるという体系を説明するのが共時的な視点です。なぜ別の動詞に由来する went が go の過去形になったのかを歴史的にたどるのが通時的な視点です。
共時態は時間が完全に止まった現実を意味するのではなく、分析上、ある時点の関係を切り出す見方です。実際の言語には世代差や地域差があり、変化は常に進んでいます。英語を動かす力は、言語はなぜ変化する?で整理しています。
チェスの比喩で分かる「体系」
ソシュールの体系観は、しばしばチェスにたとえられます。駒の価値は材質や形だけで決まるのではありません。ほかの駒との違い、動ける範囲、盤上の位置、ゲームの規則によって決まります。
仮に木製の駒を別の素材へ交換しても、同じ役割を担えばゲームは続けられます。一方、駒の動きの規則を変えれば体系全体が変わります。言葉も、音の物理的性質だけでなく、体系の中で果たす役割から価値を得るというわけです。
構造主義へどのような影響を与えた?
ソシュールの没後、言語を関係の体系として分析する考え方は、プラハ学派の音韻論、コペンハーゲン学派などで展開されました。さらに、ロマン・ヤーコブソンらを経由して、クロード・レヴィ=ストロースの構造人類学、ロラン・バルトの記号論、文学・文化研究にも広がりました。
ただし「構造主義」は単一の方法ではありません。ソシュールが後世の哲学・人類学・文学理論のすべてを直接主張したわけでもありません。ソシュールの講義、編集された『一般言語学講義』、その後の言語学者や思想家による展開を分けて理解する必要があります。
現在の評価と限界
ソシュールの区別は今も言語学史・記号論を学ぶ基本語ですが、そのまま最終理論として使われているわけではありません。
- ラングとパロールを強く分けると、会話・相互作用・社会的実践を捉えにくい
- 共時的な体系を重視しすぎると、変化の途中や話者間の揺れが見えにくい
- 記号を二項関係で捉えるモデルでは、現実の対象や解釈過程を十分扱えないという批判がある
- 『一般言語学講義』が没後編集であるため、どこまでを本人の確定的主張とするか注意が必要
一方で、要素を孤立させず関係の体系から説明すること、現在の構造と歴史的変化を分析上区別すること、記号の形式と概念を考えることは、現在も幅広い分野の基礎になっています。
英語学習者にとって何が大切?
ソシュールの考えは、英単語を「日本語訳一個」で覚える危うさを教えてくれます。たとえば house と home は、どちらも「家」と訳されることがありますが、英語の体系の中では対立する範囲や連想が異なります。
単語を学ぶときは、次も一緒に見ると理解が深まります。
- 似た語との違い
- 反対語との関係
- どの場面で選ばれるか
- どの語と組み合わさるか
- 日本語の語が切り分ける範囲との違い
しゅみすけ(大山俊輔)
これは「正解の訳語を当てる」だけでなく、知っている基本語を組み合わせて伝える発想にもつながります。言葉の表面が違っても、概念を分解し、相手と共有できる形へ組み直せるからです。
まとめ
フェルディナン・ド・ソシュールは、言語を個々の単語や歴史的変化だけでなく、要素同士の関係から成る体系として捉えました。ラング/パロール、シニフィアン/シニフィエ、共時態/通時態という区別は、言語研究の問いを整理し、後の構造主義と記号論へ大きな道を開きました。
重要なのは、「ソシュールが言葉の唯一の答えを出した」と考えることではありません。言葉は単独で意味を持つのではなく、社会的な約束と体系内の差によって価値を持つ。この視点が、英語と日本語のずれや単語のニュアンスを考える強力な出発点になります。
英語という体系の歴史と現在地については、英語とは?歴史・特徴・語族・世界への広がりもあわせてご覧ください。










