
私たちは、これまで一度も聞いたことのない英文でも意味を理解でき、自分でも新しい文を作れます。では、人間の頭の中には、どのような「言語の仕組み」があるのでしょうか。
この問いを20世紀の言語学の中心へ押し出した人物が、アメリカの言語学者ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky、1928年生まれ)です。彼は、実際に集めた発話だけを分類するのではなく、限られた経験から無数の文を作り、理解できる人間の能力そのものを説明しようとしました。
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最初に結論|チョムスキーは言語研究の問いを変えた
チョムスキーの最大の功績は、「人が実際に何と言ったか」だけでなく、なぜ人間は新しい文を作り、文法的かどうかを判断できるのかを、説明すべき研究対象にしたことです。
1957年の著書『Syntactic Structures(統辞構造論)』を起点に発展した生成文法は、言語を単なる表現の一覧ではなく、有限の原理から無数の表現を生み出せる心的な仕組みとして捉えました。ただし、生成文法の理論はその後も何度も改訂され、普遍文法や生得性をめぐる議論には現在も異論があります。
しゅみすけ(大山俊輔)
ノーム・チョムスキーとはどのような人物?
チョムスキーは1928年、アメリカのフィラデルフィアに生まれました。ペンシルベニア大学で学び、1950年代からマサチューセッツ工科大学(MIT)を中心に研究・教育を行いました。言語学だけでなく、哲学、認知科学、政治・社会批評でも広く知られています。
言語学で特に重要な著作と研究段階は次のとおりです。
| 年代 | 主な著作・理論 | 中心となる問い |
|---|---|---|
| 1957年 | 『Syntactic Structures』 | 文法は文の構造をどのように生成するか |
| 1965年 | 『Aspects of the Theory of Syntax』 | 言語能力と実際の言語使用をどう分けるか |
| 1980年代 | 原理とパラメータのアプローチ | 言語に共通する原理と差異をどう説明するか |
| 1990年代以降 | ミニマリスト・プログラム | 言語機能をより少ない原理で説明できるか |
ここで注意したいのは、「生成文法」が1957年のまま固定された一つの完成理論ではないことです。変形生成文法、原理とパラメータ、ミニマリスト・プログラムへと、説明の道具や想定は大きく変化してきました。
生成文法とは?「たくさんの文を暗記する」理論ではない
生成文法(generative grammar)のgenerateは、日常語の「創作する」というより、一定の仕組みによって可能な構造を明示的に定める、という意味です。
たとえば、英語話者は次の文を初めて見ても理解できます。
- The student opened the book.(その学生は本を開いた)
- The student who arrived late opened the book.(遅れて到着した学生が本を開いた)
- The teacher said that the student who arrived late opened the book.(先生は、遅れて到着した学生が本を開いたと言った)
文の中に節を組み込み、さらに長い文を作ることもできます。すべての文を丸暗記したからではありません。語を一定の階層構造へ組み合わせる知識があるからだ、と生成文法は考えます。
この視点は、単語が左から右へ並ぶ順序だけでなく、どの語がまとまりを作り、どの要素がどこに関係するかを重視します。英語の疑問文や関係節を理解する際にも、見かけの語順だけでは足りないという発想につながりました。
言語能力 competence と実際の言語使用 performance
チョムスキーは1965年、理想化された話者・聞き手が持つ言語知識をcompetence(言語能力)、その知識を現実の場面で使うことをperformance(実際の言語使用)として区別しました。

文法を知っていても、話している途中で言い直したり、長い文を忘れたりします。これは必ずしも文法知識そのものの欠如ではなく、注意、記憶、時間的制約などが実際の発話へ影響した結果かもしれません。
この区別によって、言語学は偶然の言い間違いを含む発話記録だけでなく、その背後にある知識体系を理論化しやすくなりました。一方で、現実の会話、社会的文脈、頻度、相互作用を研究対象から遠ざけやすいという批判も受けました。
「文法的」と「意味が自然」は同じではない
『Syntactic Structures』で有名になった例に、Colorless green ideas sleep furiously. があります。語の意味の組み合わせは奇妙ですが、英語の文としての構造は認識できます。
逆に、単語の意味が想像できても、*Ideas green furiously sleep colorless. のような並びは英語の文法構造として受け取りにくくなります。これにより、統語構造を意味や使用頻度だけへ単純に還元できるのか、という問題が鮮明になりました。
ただし、現代の言語研究では統語論・意味論・語用論を完全に切り離すとは限りません。文の曖昧さや文脈については、言葉はなぜ曖昧なのか?もあわせて読むと、異なる層の関係が見えやすくなります。
普遍文法と「刺激の貧困」
子どもは、限られ、不完全なこともある入力から、短期間で母語の複雑な仕組みを身につけます。チョムスキー派の研究では、この事実を説明するため、人間には言語獲得を方向づける生得的な制約や初期状態があると考えてきました。これが普遍文法(Universal Grammar)をめぐる研究プログラムです。
しかし、普遍文法を「世界中の言語に同じ英文法が隠れている」と理解するのは誤りです。何を普遍的な原理とみなすか、その内容は理論の変化とともに改訂されてきました。
また、使用基盤モデル、構文文法、統計学習などの立場からは、子どもが得る入力は従来考えられたほど乏しくなく、一般的な学習能力、頻度、社会的相互作用から多くを説明できるという反論があります。世界の言語の多様性が、強い普遍性の想定へ疑問を投げかけるという議論もあります。
チョムスキー以前の言語学をどう変えた?
20世紀前半のアメリカ構造主義言語学では、観察できる発話資料を記述・分類することが重視されました。チョムスキーは、その作業の価値を否定したのではなく、資料の整理だけでは「なぜ人は未経験の文を理解できるのか」を説明できないと考えました。
さらに、行動主義心理学が言語行動を刺激・反応・強化の枠組みで説明しようとしたことに対し、言語の創造性と内的な知識構造を重視しました。これにより、言語は人間の心を科学的に考えるための重要な窓となり、心理学、哲学、コンピュータ科学を含む認知科学の発展にも大きな影響を与えました。
現在の評価|大きな転換を起こしたが、唯一の言語理論ではない
チョムスキーの影響は、特定の理論項目がすべて現在も支持されているという意味ではありません。重要なのは、次の問いを避けて通れなくしたことです。
- 人間は有限の経験から、どうして新しい文を無数に扱えるのか
- 文の構造は単なる語の並びか、それとも階層的なものか
- 言語知識のどこまでが学習され、どこまでが人間の初期状態に由来するのか
- 言語の共通性と多様性を同時にどう説明するか
一方で、実際の使用、意味、身体性、社会、会話、頻度、言語間の多様性を重視する研究も発展しています。生成文法とそれらの理論は、単純な勝ち負けというより、何を中心的な説明対象とするかが異なります。認知言語学側の見方は、なぜ人は比喩で話すのか?にもつながります。
英語学習者にとって何が大切?
生成文法を学んだから英会話が直ちに上達する、という話ではありません。ただし、「言語は例文の丸暗記だけではない」という見方は、英語学習にも大きな示唆があります。
英語の文を表面の日本語訳と一対一で覚えるのではなく、主語・動詞・目的語、修飾関係、節の組み込みなど、語がどうまとまりを作るかを見ると、初めて出会う文にも対応しやすくなります。
しゅみすけ(大山俊輔)
同時に、実際に話せるようになるには、内的な文法知識だけでなく、語彙、発音、注意、処理速度、相手とのやり取りも必要です。理論を一つの学習法へ直結させず、人間の言語能力を見るための一つの強力な視点として使うのが適切でしょう。
まとめ
ノーム・チョムスキーは、言語を発話の集積ではなく、人間が新しい文を作り理解する内的な仕組みとして研究しました。生成文法、competenceとperformanceの区別、普遍文法、ミニマリスト・プログラムは、20世紀後半以降の言語学と認知科学へ大きな影響を与えています。
同時に、生得性の範囲、入力の役割、言語多様性、実際の使用や社会的文脈をどう扱うかは現在も議論されています。チョムスキーを理解することは、一つの学説を信じることではなく、人間が言語を知るとはどういうことかという問いの出発点に立つことです。
英語そのものの全体像は、英語とは?歴史・特徴・語族・世界への広がりで整理しています。また、言語が固定された仕組みではないことは、言語はなぜ変化する?も参考になります。










