Stephen Krashenとは?5つの仮説と第二言語習得論への影響

Stephen Krashenの研究と第二言語習得の5つの仮説を表したアイキャッチ

「英語は文法規則を覚えるだけでは身につかない」「理解できる英語へたくさん触れることが大切」「不安が強いと学びにくい」。今では広く聞かれるこれらの考え方を、第二言語習得の一つの理論体系として強く打ち出した人物がStephen Krashen(スティーヴン・クラッシェン)です。

Krashenは1970年代後半から1980年代にかけて、第二言語習得を説明する5つの仮説を提示しました。この理論群は一般にMonitor Model(モニターモデル)、あるいは後にInput Hypothesisと呼ばれ、語学教育へ大きな影響を与えました。

一方で、「習得と学習を分けすぎている」「i+1を客観的に測りにくい」「インプット以外の役割を十分に説明していない」といった批判もあります。この記事では人物を称賛するだけでなく、5仮説の関係、理論が生まれた背景、教育への影響、現在から見た功績と限界を整理します。

Contents

Stephen Krashenとは?

Stephen D. Krashenは、第二言語習得、バイリンガル教育、読書・リテラシー研究で知られるアメリカの研究者です。南カリフォルニア大学(USC)の公式プロフィールによれば、1972年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で言語学の博士号を取得し、現在はUSCの教育学名誉教授です。

同プロフィールでは、第二言語習得、神経言語学、バイリンガル教育、リテラシーの分野で525点を超える論文・著書を発表したと紹介されています。Krashenの仕事は、狭い意味の英文法教育にとどまりません。理解可能なインプット、自由読書、バイリンガル教育、学校教育における言語政策などへ広がっています。

代表的な著作には次があります。

  • Second Language Acquisition and Second Language Learning(1981)
  • Principles and Practice in Second Language Acquisition(1982)
  • Tracy D. Terrellとの共著 The Natural Approach(1983)
  • The Input Hypothesis: Issues and Implications(1985)
  • The Power of Reading(1993、改訂版2004)

Krashenは何を変えようとしたのか

Krashenの理論が広がった時代、外国語教育では文法規則の説明、訳読、反復練習、誤りの訂正が大きな位置を占めていました。しかし、規則を説明できても実際の会話で使えない学習者は少なくありません。

Krashenは、この問題を「教え方が足りない」だけではなく、意識的に言語について知ることと、実際に言語を運用する能力が形成されることは同じではないという観点から捉えました。

そして、学習者が理解できるメッセージへ触れること、意味を中心としたコミュニケーション、不安の少ない環境を重視しました。これは、教師が文法を説明し、学習者が正確に復唱する授業から、学習者が理解しながら言語を使う授業へ視点を移す力になりました。

しゅみすけ(大山俊輔)

Krashenの大きな問いは、「何を教えたか」ではなく、「学習者の中で使える言語がどう育つのか」でした。ここが英語教育の視点を変えたのです。

モニターモデルを構成する5つの仮説

Krashenの5仮説は、別々の勉強法を並べたものではありません。言語能力がどのように形成され、どの順序で発達し、何が入力を受け取りにくくするのかを説明しようとした一つの理論群です。

習得・学習、モニター、自然順序、インプット、情意フィルターの5仮説を示す図

1.習得・学習仮説(Acquisition–Learning Hypothesis)

Krashenは、第二言語を身につける過程をacquisition(習得)learning(学習)に分けました。

  • 習得:意味を理解する中で無意識的に言語体系が形成される過程
  • 学習:文法規則などを意識的に知る過程

Krashenは、自然な発話を生み出すのは主に習得された体系であり、学習された知識は別の役割を持つと考えました。この強い分離は大きな影響を与えた一方、現在まで続く議論の中心でもあります。

詳しくは、直前に公開した英語の「学習」と「習得」は何が違う?で、現在のインターフェイス論まで含めて解説しています。

2.モニター仮説(Monitor Hypothesis)

意識的に学習した文法知識は、発話を作る中心ではなく、習得された体系が生み出した表現を点検・修正するモニターとして働くという仮説です。

モニターを使うには、規則を適用する時間があること、形式へ注意を向けていること、該当規則を知っていることが必要だとされます。時間のある作文では使いやすく、速い会話では使いにくいという違いを説明します。

Krashenは、モニターを使いすぎて話せなくなる人、ほとんど使わず正確さが安定しない人、必要なときに適切に使う人という違いにも言及しました。

3.自然順序仮説(Natural Order Hypothesis)

第二言語の文法項目は、教科書で教えた順番どおりではなく、ある程度予測可能な順序で習得される傾向があるという仮説です。

これは全員がまったく同じ順序をたどる、あるいは特定の形を教えてはいけないという意味ではありません。また、研究で観察された発達順序を、そのままシラバスへ変換できるとも限りません。

重要なのは、今日説明した文法が明日から自由に使えるとは限らないことです。学習者の内部で準備が整う時期と、授業で提示される時期は一致しない場合があります。詳しくは自然順序仮説の記事で扱っています。

4.インプット仮説(Input Hypothesis)

Krashenの理論で最も広く知られている仮説です。学習者は、現在の能力を少し超えながらも意味を理解できるインプット、いわゆるi+1へ触れることで習得を進めるとされます。

理解可能性は、単語や文法の簡単さだけで決まりません。場面、表情、ジェスチャー、既知の情報、画像、会話の流れなども意味理解を助けます。

Krashenは、十分な理解可能なインプットがあれば発話能力は直接教え込むよりも、習得が進む中から現れると考えました。この点は、後にアウトプットや相互交流の役割を重視する研究者との重要な論点になります。

i+1の意味や誤解は、インプット仮説の解説記事で詳しく説明しています。

5.情意フィルター仮説(Affective Filter Hypothesis)

不安、自信、動機づけなどの情意的要因が、インプットを習得へ取り込む過程に影響するという仮説です。強い不安や防御的な状態では、理解可能な英語が周囲にあっても十分に処理されにくい状態を、フィルターが高いと表現します。

これは「楽しい授業なら必ず習得できる」「不安があれば学べない」という単純な因果を意味しません。情意フィルターは直観的に理解しやすい反面、フィルターそのものを直接測ることや、他の認知・社会的要因から分けることには難しさがあります。

5つの仮説はどうつながる?

問い 対応する仮説 Krashenの答え
使える言語能力はどう形成される? 習得・学習仮説 無意識的な習得が中心
文法知識は何をする? モニター仮説 発話を点検・修正する
文法はどんな順で発達する? 自然順序仮説 教えた順とは別の発達順序がある
習得を進める材料は何? インプット仮説 理解可能なi+1
入力があっても進みにくいのはなぜ? 情意フィルター仮説 不安などが受容を妨げうる

このように見ると、5仮説は「理解可能な入力が、低い情意フィルターのもとで習得体系へ届き、自然な順序で発達し、学習知識は必要に応じてモニターする」という全体像を作っています。

The Natural Approachへの展開

KrashenはTracy D. Terrellとともに、理論を言語教育へ応用するThe Natural Approach(ナチュラル・アプローチ)を体系化しました。

このアプローチでは、初期から正確な発話を強制するよりも、まず理解を重視します。教師は実物、画像、ジェスチャー、文脈を使って意味を分かりやすくし、学習者が発話の準備を整える時間も認めます。

ただし、ナチュラル・アプローチを「教師は何も教えず、英語を浴びせるだけ」と理解するのは誤りです。理解可能な入力を設計するには、学習者の水準を把握し、意味を支える工夫を行い、参加できる環境を作る必要があります。

Krashenが英語教育へ与えた影響

文法中心から意味中心へ

Krashenの理論は、言語形式を正確に再生することだけでなく、学習者がメッセージを理解できるかを授業の中心へ押し出しました。コミュニカティブな語学教育や内容を通した言語教育とも重なる方向性です。

誤りと沈黙期間への見方

学び始めた直後から完全な文を話させるのではなく、まず理解が育つ期間を認める考え方を後押ししました。誤りを一つずつ即座に訂正することが、必ずしも習得を促すとは限らないという問題も提起しました。

自由読書とリテラシー

Krashenは後年、Free Voluntary Reading(自由意志による読書)を強く提唱しました。興味のある本を大量に読むことが、語彙、文法、文章力、知識を広げると論じています。

バイリンガル教育と言語政策

Krashenは、英語をまだ十分に理解できない子どもへ、理解不能な英語だけで教えることを批判し、第一言語を利用しながら内容理解と英語発達を支えるバイリンガル教育を擁護してきました。研究者としてだけでなく、教育政策をめぐる公的議論にも積極的に参加しています。

Krashen理論への主な批判

1.主要概念を測定しにくい

「習得」と「学習」を学習者の内部で明確に分けることは簡単ではありません。ある表現が無意識に身についたのか、意識的な知識を高速に使ったのかを、行動だけから確定するのは困難です。

同様に、ある入力が各学習者にとって正確にi+1だったかを客観的に測ることにも難しさがあります。理解できたことと、その入力から新しい形式を習得したことも同じではありません。

2.反証可能性が弱いという批判

理論と一致しない結果が出たとき、「入力が十分に理解可能ではなかった」「情意フィルターが高かった」など複数の説明が可能になるため、仮説を明確に反証しにくいと批判されてきました。

3.アウトプットの役割を小さく見ている

Merrill Swainのアウトプット仮説は、話したり書いたりすることで、自分が言えない部分に気づき、仮説を試し、言語形式を深く処理する可能性を示しました。

「インプットかアウトプットか」の二者択一ではなく、理解した英語を受け取り、実際に表現し、反応を受けて再び入力へ戻る循環として考える必要があります。

4.相互交流と意味交渉の説明が不足する

Michael Longらの相互交流研究では、聞き返し、確認、言い換えなどの意味交渉が入力を理解可能にし、注意を促す役割が検討されました。入力は一方向に与えられるだけでなく、会話の中で共同調整されます。

5.明示的指導の効果を小さく見積もる

第二言語指導の研究では、適切な指導が学習成果に差をもたらすことが示されています。ただし、これは文法説明だけですべてが自動的に習得されるという意味ではありません。指導、注意、練習、入力、使用がどう組み合わさるかが問題です。

では、Krashenは「間違っていた」のか?

理論の一部に批判や修正があるからといって、Krashenの仕事全体が無意味になるわけではありません。また、理解可能なインプットが重要だからといって、5仮説がすべて確定した事実になるわけでもありません。

学術理論の価値は、最終回答を一度で出すことだけではありません。研究可能な問いを可視化し、教育現場が当然視していた前提を揺さぶり、後続研究を生み出すことにもあります。

Krashenは少なくとも、次の問いを英語教育の中心へ置きました。

  • 規則を知ることと、使えることは同じか
  • 学習者は理解できない英語から何を得られるか
  • 教えた順序と、身につく順序は一致するか
  • 不安や自信は言語発達へどう関係するか
  • 話させる前に、理解を十分に育てているか

これらは現在も第二言語習得研究と英語教育に残る重要な問いです。

しゅみすけ(大山俊輔)

一つの理論を信じ切る必要はありません。Krashenが照らした「理解できる英語」と、後の研究が示したアウトプット・相互交流・気づきを組み合わせて考えましょう。

日本語話者の英語学習へ活かすなら

理解できない英語を大量に流すだけにしない

聞き流しの量より、状況や既知の内容を使って意味を追えるかを確認します。難しすぎる素材なら、短くする、先に背景を知る、字幕や画像を使うなどして理解可能性を上げます。

文法知識を会話の代用品にしない

規則を理解した後は、その形式が意味を持って使われる実例へ触れ、自分の内容で使います。文法はインプットへ気づく道具、作文を見直す道具としても利用できます。

間違いを恐れない環境を作る

不安をゼロにする必要はありませんが、すべての発話を採点される状態では意味へ注意を向けにくくなります。練習場面と正確さを確認する場面を分ける方法もあります。

インプットから相互交流へつなぐ

読んだ、聞いたで終わらず、「どういう意味?」「私の場合は?」と対話へつなぎます。分からなければ聞き返し、相手の言い換えを受け取り、自分でも言い直します。

よくある質問

Krashenの5仮説は科学的に証明されていますか?

5仮説を一つの完成した事実として「証明済み」と表現するのは適切ではありません。理解可能なインプットや情意要因の重要性を支持する研究はありますが、概念の測定、因果関係、他の要因との関係には議論があります。

Krashenは文法教育を全面否定したのですか?

Krashenは、意識的な文法学習が習得された能力へ変わるという見方に否定的で、学習知識の役割をモニターに限定しました。しかし、規則知識が自己修正に使われることまで否定したわけではありません。現在の研究には、明示的指導が気づきや学習成果へ寄与しうるという立場もあります。

i+1の教材をどう選べばよいですか?

iと1を厳密な数値として測ることは困難です。大筋を理解でき、文脈の助けを使えば未知の表現を推測できる素材が目安になります。簡単すぎるか難しすぎるかだけでなく、興味を持って意味を追えるかも重要です。

まとめ

Stephen Krashenは、第二言語習得と英語教育の見方を大きく変えた研究者です。習得・学習、モニター、自然順序、インプット、情意フィルターという5仮説を通して、使える言語能力がどう育つのかを一つのモデルとして示しました。

Krashenの最大の功績は、「文法を教えた量」から「学習者が理解できる言語経験」へ焦点を移したことです。一方、習得と学習の厳密な分離、i+1の測定、アウトプット・相互交流・明示的指導の位置づけには批判と修正があります。

現在から振り返ると、Krashenを唯一の正解として扱うよりも、第二言語習得研究の巨大な出発点として読むのが適切です。理解可能なインプットを十分に受け取りながら、意味を伝え、フィードバックを受け、必要な知識で気づきを助ける。その全体像の中でKrashenの理論は今も重要な位置を占めています。

参考資料・関連研究

この記事を書いた人
しゅみすけ(大山俊輔)

b わたしの英会話および英語コーチングGRIT/be:RIZE代表。米国MBA取得、外資系企業4社での勤務経験を持ち、これまで多くの大人の英語学習を支援。日本語と英語の処理構造の違いに着目した「英語OS」の考え方をもとに、独学で伸び悩む人の学び直しをサポートしています。

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