
英語では、I run. の I と I kicked the ball. の I は、どちらも同じ「主語」です。日本語でも「私が走る」と「私がボールを蹴る」の「私が」は同じように扱われます。
当たり前に見えますが、世界の言語がすべてこの分け方をするわけではありません。言語によっては、「走る人」と「蹴られたボール」の側を同じ形で扱い、「蹴る人」だけを別に示します。
この違いを捉えるのが、主格・対格型(nominative–accusative alignment)と能格・絶対格型(ergative–absolutive alignment)です。
この記事の結論
主格・対格型は「自動詞の唯一の項」と「他動詞の動作主」を同じ側にまとめます。能格・絶対格型は「自動詞の唯一の項」と「他動詞の対象」を同じ側にまとめます。つまり、私たちが当然と思っている「主語」のまとまり方は、世界共通ではありません。
Contents
最初にS・A・Pの3役を押さえよう
この話では、日常文法の「主語」「目的語」をいったん脇に置き、言語類型論で使われる三つの記号から考えると分かりやすくなります。
| 記号 | 意味 | 例 |
|---|---|---|
| S | 自動詞に現れる唯一の中心的な項 | Ken runs.(ケンが走る) |
| A | 他動詞の動作主に近い項 | Ken kicked the ball.(ケンがボールを蹴った) |
| P | 他動詞の影響を受ける対象に近い項 | Ken kicked the ball.(ケンがボールを蹴った) |
Sは英語のsubject、Aはagent、Pはpatientを連想すると覚えやすいものの、ここでは特定言語の文法用語をそのまま当てはめず、言語を横断して比較するための記号です。文献によってはPをOと表すこともあります。
主格・対格型はSとAを同じ扱いにする
英語は典型的な主格・対格型です。代名詞を見ると、そのまとまりが目に見えます。
- I ran. ― S
- I opened the door. ― A
- She saw me. ― P
SとAには主格の I、Pには対格(目的格)の me が使われます。つまり、S=A、Pは別という揃え方です。
日本語も基本的な格標示では、「子どもが走る」のSと「子どもが扉を開ける」のAが「が」で示され、Pの「扉を」が区別されます。その意味で、英語と日本語はいずれも主格・対格型を基本とします。
しゅみすけ(大山俊輔)

能格・絶対格型はSとPを同じ扱いにする
能格・絶対格型では、まとまり方が入れ替わります。
- S:子どもが走った
- A:子どもが扉を開けた
- P:子どもが扉を開けた
この三者のうち、SとPが絶対格(absolutive)として同じ側にまとめられ、他動詞の動作主Aが能格(ergative)として別に標示されます。式にすれば、S=P、Aは別です。
World Atlas of Language Structures(WALS)の格標示アラインメント解説も、SとPを表す格を絶対格、Aを表す格を能格と定義しています。
能格型のパターンは、バスク語、コーカサスの諸言語、オーストラリアの諸言語、マヤ諸語、イヌイット・ユピック諸語などで見られます。ただし、これらの言語があらゆる文法現象で一様に能格型を示すとは限りません。
「能格言語では目的語が主語」は正しくない
能格型を初めて知ると、「目的語が主語になる言語」と理解したくなります。しかし、それでは正確ではありません。
能格・絶対格型が示しているのは、SとPが格の形、動詞との一致、文の組み立てなど、ある文法現象で同じ扱いを受けるということです。Pが動作主になるわけでも、意味上の役割が逆転するわけでもありません。
| 型 | 同じ扱いになる組 | 別に扱われる項 |
|---|---|---|
| 主格・対格型 | S+A | P |
| 能格・絶対格型 | S+P | A |
大切なのは「主語か目的語か」という日本語文法の箱から出て、三つの役を各言語がどう束ねるかを見ることです。
なぜ「走る人」と「蹴られた物」が同じ側になるの?
能格型を日本語話者が不思議に感じるのは、「走る人」と「蹴る人」はどちらも人間であり、動作をしているように見えるからです。しかし文法は、意味だけで一通りに決まるものではありません。
別の見方をすれば、自動詞文では一つの出来事と一つの参加者があり、他動詞文ではそこに外側から働きかけるAが加わる、と捉えることもできます。そのとき、SとPを基本形に置き、追加されたAを能格で明示する体系が成立します。
これは能格体系の唯一の歴史的原因を説明する話ではなく、二つのアラインメントを直感的に比較するための見方です。実際の成立過程や文法化は言語ごとに異なります。
能格性は格助詞だけに現れるとは限らない
アラインメントは、名詞につく格だけで判断するものではありません。次のような場所にも現れます。
- 動詞がどの項と一致するか
- 関係節にしやすいのはどの項か
- 省略や等位接続で同じものとして扱われるのはどの項か
- 語順や代名詞の形がどう変わるか
そのため、格標示は能格型でも統語上は主格・対格型に近い言語や、形態的能格性と統語的能格性を区別すべき言語があります。Oxford Research Encyclopedia of Linguistics の “Case Interactions in Syntax”も、格・一致・移動と統語的能格性の関係を別々の論点として扱っています。
分裂能格性とは?一つの言語に二つの型が共存する
「この言語は能格言語」と一語で分類できない場合も多くあります。条件によって能格型と対格型が切り替わる現象を、分裂能格性(split ergativity)と呼びます。
切り替えを左右する代表的な条件には、次のようなものがあります。
- 完了・未完了などのアスペクト
- 過去・現在などの時制
- 一人称・二人称・三人称といった人称
- 名詞か代名詞かという名詞句の種類
- 主節か従属節か
たとえばWALSは、オーストラリアのピチャンチャチャラ語について、普通名詞では能格・絶対格型、代名詞では主格・対格型になる例を紹介しています。マヤ諸語にもアスペクトなどを条件とする分裂が見られます。
したがって、能格性は言語に貼る永久不変の名札というより、その言語のどの領域で、どの条件のもとにS・A・Pが揃うかを記述する概念です。
英語学習者に、この知識は何の役に立つ?
英会話で能格を使う必要はほとんどありません。それでも、三つの大きな価値があります。
1.「主語は動作をする人」という説明から抜け出せる
The door opened. の the door は何かを意図して行動する存在ではありません。それでも英語では主語です。主語は意味上の「犯人」ではなく、文法上の関係だと理解できます。
2.自動詞と他動詞の違いが立体的に見える
The door opened. では the door がS、Ken opened the door. では同じ the door がPです。英語は二つを文法上別に扱いますが、意味の連続性は残っています。
3.英語・日本語を世界の標準だと思わなくなる
語順については「SVO・SOV・VSOとは?世界の言語の語順6タイプ」、主語と主題については「主語優勢言語・主題優勢言語とは?」で扱いました。今回のアラインメントは、それらとは別の第三の物差しです。
しゅみすけ(大山俊輔)
まとめ|世界の言語はS・A・Pを同じようには束ねない
主格・対格型の英語と日本語は、自動詞のSと他動詞のAを同じ側にまとめ、Pを区別します。能格・絶対格型はSとPを同じ側にまとめ、Aを区別します。
- 主格・対格型:S=A、Pは別
- 能格・絶対格型:S=P、Aは別
- 分裂能格性:条件により二つの型が切り替わる
この違いは、誰が世界をどう見ているかを単純に決めるものではありません。しかし、言語が出来事の参加者をどのように分類し、文法化するかには複数の可能性があることを示します。「主語」は自然界に最初から存在する普遍的な箱ではなく、各言語が作り上げた文法体系の一部なのです。
参考文献・参考資料
- Comrie, Bernard, “Alignment of Case Marking of Full Noun Phrases,” WALS Online.
- Comrie, Bernard, “Asymmetrical Case-Marking,” WALS Online.
- O’Grady, William, “The Syntax of Alignment: An Emergentist Typology,” Cambridge University Press.
- “Case Interactions in Syntax,” Oxford Research Encyclopedia of Linguistics.
- Pineda, Anna (2020), “Hybrid Intransitives in Basque,” Glossa.










