
英単語や文法をたくさん勉強したのに、会話になると言葉が出てこない。一方、文法用語をほとんど知らなくても、自然に英語を使う人がいます。この違いを説明する考え方として大きな影響を与えたのが、Stephen Krashen(スティーヴン・クラッシェン)の「学習」と「習得」の区別です。
Krashenは、意識的に規則を知る「学習(learning)」と、意味のあるやり取りから無意識的に言語能力を形成する「習得(acquisition)」を別の過程として捉えました。そして、自然な発話を生み出すのは主に習得された体系であり、学習された知識は発話を点検するモニターとして働くと主張しました。
ただし、現在の第二言語習得研究では、この二つを完全に切り離せるのかについて議論があります。この記事では、Krashenが本来何を主張したのか、その意義と批判、そして現在の「明示知識と暗示知識のインターフェイス問題」まで整理します。
Contents
先に結論|「学習」と「習得」は同じではないが、完全な別世界とも言い切れない
日常語では「学習」と「習得」をほぼ同じ意味で使います。しかし、Krashenの理論では明確に区別されます。
| Krashenの用語 | 中心となる過程 | 典型例 | 想定された役割 |
|---|---|---|---|
| 学習(learning) | 規則を意識して知る | 三単現の-sを説明できる | 発話を点検・修正するモニター |
| 習得(acquisition) | 意味を理解する中で無意識的に体系を形成する | 会話中に自然にHe works.と言える | 流暢な言語使用を生み出す |
この区別は、「ルールを説明できること」と「会話の瞬間に自然に使えること」は同じではない、という重要な問題を示しました。その洞察は今も有効です。
一方、現在の研究でよく使われる明示知識(explicit knowledge)と暗示知識(implicit knowledge)は、Krashenのlearning/acquisitionと似ていますが、厳密に同一の用語ではありません。また、両知識の関係についても複数の立場があります。
Krashenがいう「習得」とは?
Krashenのいう習得とは、言語形式そのものを勉強目標にするのではなく、相手の言っている意味を理解したり、自分の意味を伝えたりする中で、無意識的に言語能力が育つ過程です。子どもが第一言語を身につける過程に近いものとして説明されます。
たとえば、英語で何度も次のようなやり取りを経験したとします。
- What does she do?
- She works at a hospital.
- Where does your brother work?
- He works in Osaka.
学習者は「三人称単数現在だから-sを付ける」と毎回唱えなくても、意味を理解しながら繰り返し触れることで、she works や he works というパターンに慣れていきます。Krashenは、このような習得された能力が自然な発話の中心になると考えました。
Krashenがいう「学習」とは?
学習とは、文法規則や正誤について意識的な知識を持つことです。
- 三人称単数現在では一般動詞に-sを付ける
- 現在完了はhave+過去分詞で作る
- 可算名詞の単数形には原則として限定詞が必要である
この知識があれば、テストで正しい形を選んだり、時間をかけて英文を見直したりできます。しかし、会話では意味、相手の反応、次に話す内容なども同時に処理するため、知っている規則を瞬時に適用できるとは限りません。
しゅみすけ(大山俊輔)
モニター仮説|学習した知識は何をする?
Krashenは、意識的に学習した知識は、発話を直接生み出すのではなく、主にモニター(Monitor)として働くと考えました。つまり、習得された体系が作った発話を点検し、必要に応じて修正する役割です。
Krashenによれば、モニターを十分に使うには、少なくとも次の条件が必要です。
- 規則を適用する時間がある
- 意味だけでなく言語形式にも注意を向けている
- 該当する規則を知っている
これは、時間のある英文メールでは文法知識を使いやすいのに、速い会話では使いにくい理由を説明します。一方、モニターを使いすぎると、一文ごとに正しさを確認して流暢さを失う可能性もあります。反対に、まったく点検しなければ、修正できる誤りを繰り返すことがあります。
「学習は習得にならない」という強い主張
Krashenの立場で特に議論を呼んだのは、学習と習得を二つの独立した体系とみなし、意識的に学んだ知識が習得された知識へ変わるとは考えなかった点です。これは現在の用語では、しばしば非インターフェイスの立場に近いものとして説明されます。
この主張に従えば、文法規則を繰り返し練習しても、それ自体が自然な言語能力へ変換されるわけではありません。習得を進めるのは、学習者が理解できる意味のある言語入力です。
この見方は、文法説明と正誤練習に偏っていた外国語教育へ大きな問いを投げかけました。「規則を教え終えたこと」と「学習者が使えるようになったこと」は別だと示したからです。
現在の研究ではどう考えられている?
現在も、明示的な知識と暗示的な知識は区別されます。時間をかけた文法判断、規則説明、瞬時の理解や発話では、使われる知識や処理の性質が異なると考えられています。
ただし、両者の境界をどう測るかは簡単ではありません。「素早く答えたから無意識」「規則を説明できたから意識的」と単純には決められないためです。近年の研究でも、明示知識・暗示知識を何で測定するかは重要な研究課題とされています。
さらに、両者がどのように関係するかについて、大きく三つの立場があります。
| 立場 | 基本的な考え方 | 学習への見方 |
|---|---|---|
| 非インターフェイス | 明示知識と暗示知識は別で、前者が後者へ変換されるとは考えない | 規則知識は主にモニターとして利用 |
| 弱いインターフェイス | 明示知識は気づきや注意を通して暗示的発達を間接的に助けうる | 説明が入力の見え方を変える可能性 |
| 強いインターフェイス | 明示的に学んだ知識が、適切な練習を通して自動化されうる | 理解した規則を使用練習で迅速化 |

このうち一つだけがすべての言語項目・学習者・環境に当てはまると確定したわけではありません。文法項目の複雑さ、練習の種類、測定方法、学習者の年齢や適性によって結果は変わりえます。
Krashenの区別が今も重要な理由
1.「知っている」と「使える」を分けた
日本語で文法を説明できることと、英語を処理して意味を伝えられることは別です。この違いを正面から示した点は、Krashen理論の大きな貢献です。
2.意味のあるインプットを中心へ戻した
言語は規則一覧ではありません。実際の発話を理解し、文脈の中で形式と意味の対応へ何度も触れる必要があります。Krashenの理論は、学習者が理解できるインプットの重要性を外国語教育へ強く印象づけました。
3.発話中の処理負荷に注目させた
会話中にすべての規則を意識することはできません。知識があっても発話速度に追いつかない現象を、モニターという考え方で説明したことには実感的な説得力があります。
Krashenの区別に対する主な批判と限界
「無意識の習得」を直接観察しにくい
学習者の内面で、ある知識が意識的に学ばれたのか、無意識的に形成されたのかを完全に判定するのは困難です。そのため、学習と習得を明確な二つの箱として実証することには方法論上の難しさがあります。
学習から習得への影響を小さく見積もりすぎる可能性
規則説明によって、これまで聞き流していた形へ注意が向くことがあります。たとえば現在完了を学んだ後、会話やドラマの have+過去分詞 に気づきやすくなるかもしれません。明示知識が直接変換されなくても、気づきや練習を介して暗示的発達を助ける可能性があります。
アウトプット・相互交流・フィードバックの役割
Krashenはインプットを中心に置きましたが、その後の研究では、意味交渉、アウトプット、訂正フィードバック、注意などの役割が詳しく検討されました。インプットは不可欠でも、それだけで第二言語習得のすべてを説明できるかは議論があります。
では、文法学習は必要ないのか?
「習得が自然な使用を支える」からといって、「文法を学ぶ意味がない」とは言えません。これはKrashen理論を学習法へ適用するときに起こりやすい飛躍です。
明示的な文法知識には、次のような働きが考えられます。
- 入力の中の新しい形式へ気づきやすくする
- 似た表現の違いを整理する
- 英文を見直し、誤りを自己修正する
- フィードバックの意味を理解する
- 限られた接触時間を補う
ただし、文法書を読んで理解した時点をゴールにしてはいけません。知識を得た後は、その形式が意味を持って使われる英語へ触れ、自分でも使い、必要なら修正する経験が要ります。
しゅみすけ(大山俊輔)
大人の英語学習ではどう組み合わせる?
ステップ1|短く理解する
文法説明を長時間暗記するより、今扱う形式の意味と使われる場面を短く理解します。たとえば現在完了なら、「過去の出来事を今につなげて見る」という中心を押さえます。
ステップ2|理解できる実例へ繰り返し触れる
会話、音声、文章の中で、その形式が実際に意味を伝えている例を集めます。規則を探すだけでなく、誰が何のために使ったかまで見ます。
ステップ3|自分の意味を乗せて使う
教科書の例文を復唱するだけでなく、自分の経験や予定を表します。
- I’ve worked here for five years.
- I’ve never tried it.
- Have you ever been to Canada?
ステップ4|フィードバックを受けて再び入力へ戻る
言えなかったことや修正された形を確認し、次に聞いたとき気づける状態を作ります。明示的な理解、インプット、使用、修正を循環させます。
よくある誤解
留学すれば自動的に「習得」できる?
その環境にいるだけでは不十分です。理解できない音が流れ続けても、形式と意味の対応を捉えにくいことがあります。理解可能性、やり取りへの参加、注意、使用機会が重要です。
会話だけしていれば文法は自然に完成する?
すべての学習者・項目でそうなるとは限りません。意味が通じる誤りは相手が修正しないこともあり、特定の形式へ注意を向ける支援が役立つ場合があります。
文法を考えた瞬間、それは「習得」ではない?
実際の言語使用では、意識的処理と自動的処理が混ざることがあります。研究上も両者の測定は難しく、日々の学習を二つへ厳密に仕分ける必要はありません。
まとめ|学習と習得を対立させず、役割を分ける
Krashenの区別では、学習は規則を意識的に知る過程、習得は意味のある言語経験から無意識的に体系を形成する過程です。自然な発話は習得された体系から生まれ、学習された知識は主にモニターとして働くとされました。
この理論は「文法を知ること」と「英語を使えること」を分けて考える重要な視点を与えました。一方、現在の研究では、明示知識と暗示知識が完全に独立しているのか、それとも気づきや練習を介して影響し合うのかについて複数の立場があります。
大人の学習では、どちらかを捨てる必要はありません。
- 文法や語彙を短く理解する
- 理解できる英語へ十分に触れる
- 意味を伝えるために実際に使う
- フィードバックを受けて気づきを更新する
- 再びインプットと使用へ戻る
学習を「地図」、習得を「歩いて身についた感覚」と考えると分かりやすいでしょう。地図だけでは目的地へ着けません。しかし、地図を持って実際に歩けば、限られた時間でも道を見つけやすくなります。
参考資料・関連研究
- Krashen, Principles and Practice in Second Language Acquisition
- N. C. Ellis, At the Interface: Dynamic Interactions of Explicit and Implicit Language Knowledge
- Roehr-Brackin, Explicit and Implicit Knowledge and Learning of an Additional Language
- Kim & Godfroid, The Interface of Explicit and Implicit Second-language Knowledge
- 第一言語習得と第二言語習得は何が違う?
- インプット仮説とは?i+1と英語学習への活かし方
- 自然順序仮説とは?第二言語習得の順序










