
斎藤秀三郎(さいとう ひでさぶろう)は、明治・大正期を代表する英語学者、教育者、辞書編纂者です。現在の英語学習者には名前を知られていないこともありますが、1915年刊行の『熟語本位英和中辞典』は、日本の英和辞典史に残る名著として今も読み継がれています。
この辞典が先進的だったのは、英単語に一つの日本語訳を付けるだけで終わらなかったことです。単語がどの語と結びつくのか、熟語や連語として何を意味するのか、文章の中でどのように使われるのかを、大量の用例と細かな説明で示しました。
つまり斎藤は、100年以上前から「英語は単語の一覧ではなく、言葉の結びつきと用例から学ぶものだ」と考えていたのです。この視点は、句動詞、コロケーション、チャンクを重視する現代の英語学習ともつながります。
しゅみすけ(大山俊輔)
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斎藤秀三郎とは?明治・大正期の英語教育を支えた人物
斎藤秀三郎は1866年、仙台に生まれ、1929年に亡くなりました。幼いころから英語を学び、工部大学校で英国人教師ジェイムズ・メイン・ディクソンの影響を受けました。ドイツ日本研究所の斎藤文庫の解説でも、宮城英語学校、工部大学校を経て英語研究へ進んだ経歴が紹介されています。
その後、第一高等学校などで教え、1896年には東京・神田に正則英語学校を創設しました。「正則」は、訳読だけに頼るのではなく、発音や英語そのものを重視する学びを示す言葉として使われました。
斎藤は辞書だけでなく、『実用英文典』をはじめ多くの文法書、教科書、講義録を著しました。英語研究、学校教育、辞書編纂を別々に扱わず、学習者が英語を実際に理解し、使えるようにする一つの仕事として取り組んだ人物です。
1915年『熟語本位英和中辞典』は何が画期的だったのか
『熟語本位英和中辞典』は1915年(大正4年)に日英社から刊行されました。青空文庫の斎藤秀三郎の作品一覧や、国立国会図書館の書誌情報でも初版年を確認できます。
題名にある「熟語本位」とは、単語を単独で説明するよりも、熟語・慣用表現・語の結びつきを中心に英語を捉えるという方針です。
単語の訳語だけで終わらない
たとえば一つの動詞でも、目的語や前置詞が変われば意味やニュアンスが変わります。辞書で動詞の代表訳だけを覚えても、実際の文章や会話では使いこなせません。斎藤の辞典は、その語がどのような形で現れ、他の語とどう結びつくかを詳しく記録しました。
大量の用例で意味を立体的に見せる
意味を説明するだけでなく、文の中でどう働くかを例文で示します。用例を並べることで、肯定・否定、硬い文体・日常的な文体、具体的な意味・比喩的な意味の違いが見えてきます。
日本語訳にも幅を持たせる
英語表現に対して、機械的な一対一対応ではなく、その場面にふさわしい日本語を選びました。ことわざ、漢語、口語的な言い回しなど、多様な日本語を使って英語の働きを表そうとした点も特徴です。
英語は「結びつき」で身につく

英語学習では、一つの単語を知るだけでなく、その単語がよく現れる組み合わせを知ることが重要です。
- 単語:意味の核を知る
- 熟語・連語:よく一緒に使われる語をまとまりで覚える
- 生きた用例:誰が、どんな場面で、何のために使うかを理解する
たとえば decision を「決定」とだけ覚えるより、make a decision、reach a decision、a difficult decision の形で覚えるほうが、実際の会話や作文で使いやすくなります。
同様に take を「取る」と覚えるだけでは、take time、take responsibility、take a break、take part in などの意味は作れません。単語の中心イメージと、実際に使われる結びつきの両方が必要です。
コロケーション・チャンク学習を先取りしていた
現代の英語教育では、よく一緒に現れる語の組み合わせを「コロケーション」、会話で一まとまりとして処理する表現を「チャンク」と呼びます。『熟語本位英和中辞典』が現代の言語学理論と同じだったという意味ではありませんが、学習上の着眼点には大きな共通性があります。
斎藤は辞書を編むために、実際の英文から膨大な表現や用例を集めました。頭の中で文法規則から作った例だけでなく、英語が現実にどう使われているかを観察し、分類し、日本語で説明しました。
この方法は、現在のコーパスを使った辞書編纂にも通じます。ただし当時は電子検索がありません。読書とカード、手書き原稿による膨大な蓄積が辞典の土台でした。
1928年『斎藤和英大辞典』は日本語文化を英語へ出した
斎藤は英語から日本語を引く英和辞典だけでなく、日本語から英語を探す和英辞典にも大きな仕事を残しました。1928年刊行の『斎藤和英大辞典』です。
復刻電子版の解説によれば、日本語見出しは約5万語、用例・文例は約15万例。俳句、和歌、漢詩、都々逸、流行歌、芝居の台詞など、日本独自の慣用表現も収録されています。詳しくは「NEW斎藤和英大辞典」の解説で確認できます。
日本語の単語を英単語へ置き換えるだけでなく、日本の文化や考え方を英語でどう説明するかを示そうとした辞典です。この点は、英語で日本を世界へ伝えた新渡戸稲造や岡倉天心ともつながります。
斎藤秀三郎と坪内逍遥の違い
坪内逍遥も、英語と日本語の間で大きな仕事をした明治期の人物です。しかし、二人が扱った単位は異なります。
- 坪内逍遥:シェイクスピアの作品全体を、日本語の舞台で生きる台詞へ翻訳した
- 斎藤秀三郎:単語、熟語、連語、用例を集め、学習者が使える辞書として体系化した
逍遥が作品と舞台をつないだ翻訳者なら、斎藤は無数の用例を分類し、英語と日本語の対応関係を地図にした辞書編纂者でした。どちらも単なる直訳ではなく、文脈の中で言葉がどう働くかを重視しています。
功績:日本人のための「使える英語」を体系化した
- 熟語・連語を学習の中心に置いた
単語を孤立させず、実際に現れるまとまりとして示しました。 - 用例から意味を理解させた
訳語だけでは見えない文体、場面、ニュアンスを例文で伝えました。 - 英語教育と辞書編纂を結びつけた
教師として見た学習者の疑問を、辞典や文法書へ反映しました。 - 日本語を英語で表す資源を残した
日本独自の文化表現を含む膨大な和英用例を蓄積しました。
限界と注意点:100年前の辞典をそのまま現代英語の正解にはできない
『熟語本位英和中辞典』は歴史的名著ですが、1915年の辞典です。語法、綴り、社会的な価値観、日本語訳の文体には時代差があります。青空文庫も、現代から見れば不適切と受け取られる可能性のある表現が含まれる旨を明記しています。
また、用例が豊富でも、現代の話し言葉における頻度や地域差を、大規模な電子コーパスのように数値で示す辞典ではありません。現在使う表現を確認するときは、現代の学習辞典やコーパスと併用する必要があります。
斎藤の辞典から学ぶべきなのは、古い訳語をそのまま暗記することではありません。単語を孤立させず、用例を集め、似た表現を比較し、実際の使われ方から意味を考える姿勢です。
しゅみすけ(大山俊輔)
英語学習者が斎藤秀三郎から学べる方法
1.新しい単語は組み合わせで記録する
単語、意味、例文だけでなく、よく一緒に使われる前置詞・動詞・名詞を2〜3個記録します。responsibility なら take responsibility for、accept responsibility の形まで残します。
2.例文を一つではなく複数見る
一つの例文だけでは、どこまで自由に使えるか分かりません。主語、時制、目的語、場面が異なる用例を比べることで、その表現の輪郭が見えます。
3.英和と和英を往復する
英語を見て日本語が分かる受け身の知識と、日本語から英語を出せる知識は別です。英和で理解した表現を、和英の方向でも思い出せるか確認します。
4.自分の生活に置き換える
辞典の例文を眺めるだけでなく、自分の仕事、家族、趣味、予定に合わせて一文を作ります。用例を自分の文脈へ移すことで、記憶から会話へ進みます。
英語や言語を研究してきた人物を、世界の言語学と日本の英学・翻訳・教育という二つの流れからたどる場合は、中間ガイド「言語を研究した人々|英語・言語学の歴史を変えた研究者・英学者」をご覧ください。
まとめ
斎藤秀三郎は1866年に仙台で生まれ、英語学者・教育者・辞書編纂者として日本の英語教育に大きな足跡を残しました。1915年の『熟語本位英和中辞典』は、単語の訳語だけでなく、熟語・連語・大量の用例から英語を理解させる辞典でした。1928年の『斎藤和英大辞典』では、日本語文化を英語で表す膨大な文例も残しました。
100年以上前の辞典を現代英語のまま使うことはできません。しかし、「単語ではなく結びつきで覚える」「用例から意味を考える」「英和と和英を往復する」という考え方は、今も有効です。斎藤秀三郎の仕事は、英語を知識の一覧から、実際に働く言葉へ変えるための重要なヒントを与えてくれます。









