
母語を使うとき、私たちは文法規則を一つずつ思い出しているわけではありません。大量の言語経験から身についた暗黙的な知識によって、音や語順を素早く処理し、「こちらのほうが自然だ」と感じながら理解・発話しています。説明できる知識と、瞬時に使える知識は、関係していますが同じものではありません。
日本語話者なら、「昨日、私は駅で友達に会った」は自然で、「昨日、私は駅が友達を会った」は不自然だとすぐ分かります。ところが、なぜ一つ目では「で」と「に」を使い、二つ目が成立しないのか、文法用語を使って完全に説明できる人は多くありません。
反対に、英語では「三人称単数現在には -s をつける」と説明できても、会話では “She work” と言ってしまうことがあります。仮定法の問題は解けても、実際の相談で “If I were you…” がとっさに出ないこともあります。
なぜ「説明できるのに使えない」と「説明できないのに使える」が起きるのでしょうか。ここには、明示的知識と暗黙的知識、さらにリアルタイムの処理が関係しています。
しゅみすけ(大山俊輔)
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「知っている」には二つの姿がある
言語についての知識は、単純に「ある/ない」では整理できません。まず、次の二つを分けます。
- 明示的知識:意識して取り出し、規則や用語を使って説明できる知識
- 暗黙的知識:規則を意識せず、素早い理解や発話の中で使われる知識

明示的知識は、「現在完了は have + 過去分詞」「可算名詞の単数には原則として限定詞が必要」のように説明できます。時間をかければ、文を分析し、誤りを探し、修正する助けになります。
暗黙的知識は、会話の流れの中で “I’ve lived here for ten years.” を理解し、自分でもほぼ自動的に使う知識です。話している最中に「have + 過去分詞」と唱えなくても形が出ます。なぜ自然かを説明できるとは限りません。
この違いは、前の記事言語を知っているとは何かで扱った「知識と使用」の関係を、さらに内側から見たものです。
母語の文法は、教科書より前に身についている
子どもは、主語、目的語、格助詞、従属節といった用語を知らなくても、周囲の発話から言語の規則性を取り込みます。聞いた文を丸ごと保存するだけではありません。初めて聞く文を理解し、初めての文を作り、ある形を不自然だと感じます。
たとえば幼い子どもが、聞いたことのない動詞にも過去形の規則を広げることがあります。英語なら不規則動詞 go に規則的な -ed をつけて goed のように言う場合です。大人の形とは違いますが、子どもが単に物まねしているのではなく、自分なりの規則を作っている証拠になります。
言語習得は、説明を暗記することだけではありません。大量の入力、相手とのやり取り、予測と修正を通して、規則性が処理の仕組みとして育つ過程です。
言語直感とは何か
言語直感とは、文を見聞きしたときに「自然だ」「少し変だ」「意味は取れるが、この場面では言わない」と感じる判断です。言語学では、話者の文法知識を調べる手掛かりとして文法性判断・容認度判断が使われます。
たとえば英語話者は、次の違いを素早く感じます。
- She likes coffee.
- She like coffee.
一つ目を自然、二つ目を標準英語では不自然と判断できても、「三人称」「単数」「現在時制」「屈折」という用語を説明できるとは限りません。判断を生む知識と、判断の理由を言語化する知識が別だからです。
直感は、神秘的な第六感ではない
直感は、理由のない勘ではありません。これまでに出会った膨大な音、語、文、場面から形成された予測です。頻度の高い並びは処理しやすくなり、ある語と一緒に現れやすい語、語順、意味、話し手の意図がネットワークとして結びつきます。
日本語で「濃いコーヒー」は自然でも「強いコーヒー」は文脈によって少し翻訳調に感じる人がいるように、文法だけでなくコロケーションや慣用も直感に含まれます。英語では strong coffee が自然です。単語を一対一で覚えるだけでは、この感覚は育ちにくいのです。
ただし、母語話者の直感も絶対ではない
母語話者なら全員が、すべての文を同じように判断するわけではありません。地域、世代、教育、職業、文脈、文の長さによって判断は揺れます。同じ人でも、声に出して聞いたときと文字で慎重に読んだときで評価が変わることがあります。
文が複雑すぎれば、文法的でも処理しにくいため不自然に感じます。反対に、規範文法から外れた形でも、頻繁に聞くため自然に感じることがあります。話者のアクセントや、その話者をどう認識するかが判断へ影響する研究もあります。
したがって、言語直感は重要なデータですが、一人の「私はそう言わない」だけで英語全体を決めることはできません。コーパス、複数の話者、文脈、地域差も確認します。詳しくは言語に間違いはあるのかで整理した、形・意味・慣用・場面の四つの判断が役立ちます。
なぜ英文法を勉強しても、すぐ話せないのか
英文法の説明を理解すると、意識して考える時間がある課題には強くなります。しかし会話では、相手の発話を聞きながら意味を取り、次の内容を考え、単語を選び、語順を作り、発音し、相手の反応も見る必要があります。
一つの規則に長く注意を向けられません。三単現の -s を思い出している間に、言いたかった内容や次の語が消えることもあります。これは規則を「知らない」というより、リアルタイム処理でまだ安定して利用できない状態です。
流暢さとは、ただ速く話すことではなく、限られた注意資源で言語処理を続けられることです。また英語が身につく仕組みでは、理解した知識を検索し、使用し、自動化へ近づける過程を扱っています。
明示的知識は役に立たないのか
役に立ちます。特に大人の外国語学習では、説明によって注意すべき違いが分かり、入力の中で形を発見しやすくなります。冠詞を知らない人に、a と the の視点を説明すれば、その後に読む英文の見え方が変わります。
明示的知識には、少なくとも次の役割があります。
- 入力の中で重要な形へ注意を向ける
- 自分の発話や文章をゆっくり点検する
- 似た表現の違いを整理する
- 教師や学習者同士で問題を共有する
- 間違いを偶然として流さず、仮説を修正する
ただし、規則を理解した瞬間に暗黙的知識へ変換されるわけではありません。明示的知識と暗黙的知識の関係については、直接変わらないとする立場、練習によって変わり得るとする立場、条件つきで影響するとする立場があり、研究上も単純な決着はついていません。
明示的学習と暗示的学習、そしてインターフェイス問題は、この論争を詳しく扱っています。
しゅみすけ(大山俊輔)
「繰り返せば自動化する」だけでは足りない
同じ文を機械的に百回唱えれば、口の動きは速くなるかもしれません。しかし、主語、時制、相手、目的が変わったときに使えなければ、限定された暗唱です。
使える知識を育てる反復には、少しずつ条件の違う意味のある使用が必要です。
- 例文の意味と使う場面を理解する
- 自分のことに置き換えて発話する
- 主語、時制、目的語を変える
- 相手の質問に応じて使う
- 時間を空け、手掛かりを減らして取り出す
- 通じなければ言い換え、フィードバックで修正する
たとえば “I’ve been…” の形を学んだら、規則を確認するだけでなく、“I’ve been busy.” “I’ve been to Kyoto.” “I’ve been studying English for two years.” の意味の違いを場面の中で使います。形、意味、状況が結びつくほど、会話中に検索しやすくなります。
説明できるのに話せない人は、何を変えればよいか
知識を増やすだけでなく、使用条件を変えます。
| 今できること | 次に必要な練習 |
|---|---|
| 規則を読めば理解できる | 短い例から形と意味を見つける |
| 選択問題なら解ける | 手掛かりなしで文を作る |
| 書けば使える | 短い制限時間で口頭産出する |
| 練習文なら言える | 質問への応答やタスクで使う |
| 会話中に間違える | 会話後に一つだけ振り返り、再使用する |
すべての文法を会話中に監視しようとすると、注意が足りなくなります。今日は過去形、次回は冠詞というように焦点を絞り、内容を伝える活動の中で使います。正確さを整える時間と、流れを止めずに話す時間を分けることも有効です。
逆に、使えるのに説明できない人は問題なのか
日常の言語使用だけなら、必ずしも問題ではありません。多くの母語話者は、助詞や関係節を専門用語で説明せずに使います。外国語学習者でも、海外生活や大量の交流を通じて、規則名を知らず自然な表現を使える場合があります。
ただし、説明できる知識が役立つ場面もあります。高度な文章を推敲する、試験に対応する、似た表現を比較する、他者へ教える、化石化した癖を直す場面です。暗黙的知識があれば明示的知識は不要、という単純な関係ではありません。
目標は母語話者の状態を完全に再現することではなく、自分の目的に必要な速度・正確さ・場面適切性を持つことです。
母語と外国語の違いを、欠陥ではなく学習歴として見る
母語は、幼少期から膨大な時間をかけ、生活の必要そのものとして使われます。聞く量、やり取りの回数、感情や身体を伴う経験が、教室での外国語学習とは大きく違います。
大人の英語が母語のように感じられないのは、学習能力がないからとは限りません。経験量、使用場面、処理時間、注意の向け方が違います。大人には、概念を理解し、自分で練習を設計し、複数言語を比較できる強みもあります。
明示的な説明を大人の強みとして使いながら、実際の理解・発話・相互行為を増やす。その往復によって、「知っている英語」が少しずつ「使える英語」へ近づきます。
まとめ――母語は、説明ではなく働きとして身についている
母語話者が文法を説明できなくても言語を使えるのは、文法を持っていないからではありません。語順、音、意味、場面の規則性が、意識的な説明とは別の形で処理システムに組み込まれているからです。
一方、外国語学習で得た説明可能な知識は、注意、理解、自己修正の地図になります。しかし地図だけでは、リアルタイムの会話は動きません。意味のある入力、取り出し、発話、相手との調整を通じて、素早く利用できる知識も育てる必要があります。
英語を使えるようになるとは、規則を忘れることではなく、必要なときに規則を意識しなくても処理が進む範囲を増やすことです。説明できる知識と使える知識を対立させず、それぞれの役割を生かすことが、大人の英語学習の現実的な道になります。
参考文献・資料
- Rod Ellis, Measuring Implicit and Explicit Knowledge of a Second Language, 2005.
- Patrick Rebuschat, Implicit and Explicit Knowledge in Second Language Acquisition, 2013.
- K. Roehr-Brackin et al., Explicit and Implicit Knowledge and Learning of an Additional Language, 2024.
- Ewa Dąbrowska, What Exactly Is Universal Grammar, and Has Anyone Seen It?, 2015.
文法を説明できる知識と、使用から育つパターンの関係は、文法はルールなのか、パターンなのかで整理しています。
母語の暗黙知を、意味・構造・社会・習得を含む言語全体の働きから捉える場合は、「言語とは何か」総合ガイドへ戻ると全体像を確認できます。









