
「英語で考える」「英語を英語のまま理解する」「英語脳を作る」。現在の英語学習でも繰り返し使われる考え方ですが、戦後の日本でこの理念を広く伝えた代表的な教育者が松本亨(まつもと とおる)です。
松本は1951年から1972年まで、約21年にわたりNHKラジオ「英語会話」の講師を務めました。ラジオから流れる英語を聞き、声に出して繰り返し、英語で質問されて英語で答える。その授業を通して、翻訳を経由しすぎず、英語の語順と場面のまま理解する学びを提唱しました。
ただし、「英語で考える」は日本語を使ってはいけないという精神論ではありません。初心者が文法や語彙を日本語で理解することには意味があります。松本が問題にしたのは、英語を聞くたびに全文を日本語へ訳し、日本語の答えを作ってから英訳する習慣です。
しゅみすけ(大山俊輔)
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松本亨とは?NHKラジオ「英語会話」で知られた教育者
松本亨は1913年に生まれ、1979年に亡くなった英語教育者・キリスト教牧師です。1930年代に日米学生会議へ参加し、1936年に渡米。その後、神学校で学び、牧師として活動するなど約14年間をアメリカで過ごしました。
戦後に帰国し、1951年4月から1972年3月までNHKラジオ「英語会話」の講師を担当しました。国立国会図書館に登録された評伝『松本亨と「英語で考える」―ラジオ英語会話と戦後民主主義』も、NHK講師、キリスト教者、日米の間で生きた人物という複数の面から松本を扱っています。
松本の英語教育には、試験問題を解くための知識だけでなく、異なる背景を持つ人と対話するための言葉という発想がありました。アメリカ生活、牧師として人へ語りかけた経験、ラジオという音声メディアが、「生きた英語を聞き、自分の言葉で話す」という教育へつながりました。
「英語で考える」とは何を意味するのか
松本の代表的な主張は Thinking in English、つまり「英語で考える」です。著書には『英語で考えるには―そのヒケツと練習』があり、国立国会図書館の書誌情報では1974年刊行と確認できます。
この言葉は、次の三つに分けると分かりやすくなります。
1.英語を英語の語順で理解する
英語を最後まで聞いてから日本語の語順へ並べ替えるのではなく、聞こえた順に意味を積み上げます。
I met an old friend at the station yesterday.
これを「私は/会った/古い友人に/駅で/昨日」と前から追い、場面を作ります。きれいな日本語訳を完成させなくても、誰が何をしたかは理解できます。
2.言葉と場面を直接つなぐ
apple を聞くたびに「りんご」という日本語の文字を思い浮かべるのではなく、色、形、味、食べる場面と直接つなぎます。抽象語でも、具体的な状況や経験と結びつけることで、英語から意味へ短い経路ができます。
3.短い英語でそのまま反応する
How was your weekend? と聞かれたとき、日本語で詳しい答えを作って英訳するのではなく、まず It was great. や I stayed home. と反応します。完璧な長文より、すぐ返せる短文を増やすことが「英語で考える」入口です。
英語を英語のまま処理する流れ

英会話の処理は、理想的には次のように進みます。
- 場面と音を受け取る
相手の表情、状況、声の調子と一緒に英語を聞きます。 - 英語の語順で理解する
単語ごとに訳さず、意味のまとまりを前から処理します。 - そのまま英語で反応する
知っている短い表現を使い、まず返答します。
これに対し、負荷が高いのは「英語を聞く → 完全な日本語へ訳す → 日本語で答えを作る → 文法を使って英訳する」という長い経路です。時間がかかるため、会話の速度についていけなくなります。
翻訳が悪いのではありません。精密に読む場合や難しい概念を学ぶ場合、翻訳は有効です。しかしリアルタイムの会話では、毎回完全な翻訳を作らない処理も育てる必要があります。
ラジオ英語会話と「音から学ぶ」仕組み
松本が担当したラジオ講座では、学習者は講師の顔や黒板を見ることができません。頼れるのは声、リズム、間、繰り返しです。この制約は、むしろ英会話に必要な力を鍛えました。
- 英語の音を集中して聞く
- モデルの発音をまねる
- 質問のあとに自分で答える
- 同じ表現を繰り返して自動化する
- 毎日少しずつ学習を続ける
現在のポッドキャスト、音声教材、オンラインレッスンにも通じる方法です。教材を見るだけではなく、聞く、まねる、答えるという行動まで行うことで、知識が反応へ変わります。
「英語で考える」は日本語禁止ではない
この考え方は、ときに「授業中は一切日本語を使わない」「頭の中で日本語が浮かんだら失敗」と誤解されます。しかし、学習段階を無視して日本語を封印すると、意味を曖昧にしたまま音だけを繰り返す危険があります。
初心者には日本語の説明が役立つ
文法の仕組み、似た単語の違い、文化的背景を短い日本語で理解すれば、混乱を減らせます。特に大人の学習者は、すでに持っている日本語の概念を足場として使えます。
目標は日本語ゼロではなく、経由回数を減らすこと
知っている簡単な表現まで毎回訳す必要はありません。Thank you.、I don’t know.、Could you say that again? を聞くたびに日本語訳を作らなくても反応できます。その範囲を少しずつ広げます。
難しい内容は日本語と英語を使い分ける
抽象的な議論や専門知識では、日本語で整理してから英語にする場面もあります。重要なのは、目的に応じて翻訳と直結処理を使い分けることです。
英語の語順で考えると何が変わるのか
日本語と英語では、情報を並べる順番が異なります。日本語の完成文を英語へ移そうとすると、主語を後から探し、動詞を選び、語順を組み直す負荷が生じます。
英語では、まず主語と動詞を置き、あとから情報を足す練習が有効です。
- I think …(私は〜だと思う)
- I need …(私は〜が必要)
- I went …(私は〜へ行った)
- She told me …(彼女は私に〜と言った)
最初から完璧な日本語文を作らず、英語の骨格から話し始めます。これは英語の文法を無視することではなく、文法をリアルタイムで使える順番へ変えることです。
松本亨と斎藤秀三郎:用例から自動化へ
前の記事で扱った斎藤秀三郎は、熟語・連語・大量の用例から英語を学ぶ土台を作りました。松本亨は、それらの表現を音声で聞き、英語のまま理解し、話す反応へ変えることを重視しました。
- 斎藤秀三郎:英語がどの語と結びつき、文の中でどう使われるかを辞書に体系化
- 松本亨:英語を音と場面で受け取り、訳さず反応する練習をラジオで普及
「使えるまとまりを知る」だけでも、「とにかく話す」だけでも足りません。用例から表現を学び、それを聞いて口からすぐ出せるまで繰り返す。この二段階が必要です。
夏目漱石との対比:英語で苦しむことも英語教育の歴史
夏目漱石は英文学研究の中で、西洋の基準をそのまま受け入れることへの苦しさを経験しました。一方、松本は長いアメリカ生活とラジオ教育を通して、英語で直接対話する可能性を伝えました。
二人は時代も立場も異なりますが、日本人と英語の関係を考えるうえで両方が重要です。「英語で考えればすべて解決する」という楽観だけでも、「日本人には英語は無理」という悲観だけでもなく、負荷を理解しながら訓練方法を作る必要があります。
功績:戦後日本に英会話を日常学習として広げた
- 英語を試験科目から対話の道具へ近づけた
ラジオを通じ、全国の家庭へ話す英語を届けました。 - 英語の語順で理解する考え方を普及させた
逐語訳に依存しない聞き方・読み方を示しました。 - 音声と反復を学習の中心に置いた
聞いて、まねて、答える練習を毎日の習慣にしました。 - 英語を異文化間の対話と結びつけた
日米での生活経験を背景に、言葉を人間理解の手段として扱いました。
限界と注意点:「英語で考えろ」だけでは実践できない
理念として魅力的でも、「今日から英語だけで考えなさい」と言われて実行できるわけではありません。語彙、文法、発音、聞き取り、背景知識が不足していれば、英語のまま処理する材料がありません。
また、英語で直接理解できる範囲は、話題によって変わります。日常会話なら可能でも、法律や医療の説明では日本語を介することがあります。英語で考える能力は、全か無かではなく、表現と場面ごとに育つものです。
松本の主張を現代に活かすなら、標語を繰り返すより、理解可能な英語を大量に聞く、短い表現をかたまりで覚える、質問に時間内で答えるなど、具体的な練習へ落とす必要があります。
しゅみすけ(大山俊輔)
現代の学習者ができる「英語で考える」練習
1.身の回りを短い英語で描写する
It’s raining.、I’m making coffee.、I need to leave soon. のように、目の前の状況を短く英語にします。日本語の長文を翻訳せず、知っている型から始めます。
2.英文を前から意味のまとまりで読む
スラッシュを入れ、主語・動詞・追加情報の順に場面を作ります。日本語として美しい訳文を作る練習と、英語の順で理解する練習を分けます。
3.質問に3秒以内で一文返す
What did you do yesterday? に対し、まず I worked at home. と答えます。詳しい説明はあとから足せばよく、最初の反応を自動化します。
4.音声を聞いてすぐ復唱する
短い英文を聞き、意味と場面を想像しながら同じリズムで言います。文字を見て読めることと、音から口へ出せることの差を埋めます。
5.一日の決まった場面を英語化する
朝の支度、通勤、食事、仕事の開始など、毎日繰り返す場面には同じ表現を使えます。反復により、翻訳せず出てくる表現が増えます。
英語や言語を研究してきた人物を、世界の言語学と日本の英学・翻訳・教育という二つの流れからたどる場合は、中間ガイド「言語を研究した人々|英語・言語学の歴史を変えた研究者・英学者」をご覧ください。
まとめ
松本亨は1913年に生まれ、長いアメリカ生活と牧師・教育者としての経験を経て、1951年から1972年までNHKラジオ「英語会話」を担当しました。戦後の日本で「英語で考える」という理念を広く伝え、英語を語順・音・場面のまま理解し、英語で反応する学びを提唱しました。
これは日本語を禁止する考えではありません。日本語で学ぶ段階を認めながら、簡単な英語まで毎回完全翻訳する習慣を減らすことです。場面と音を受け取り、英語の語順で意味を作り、短い英語で返す。その範囲を少しずつ広げることが、現実的な「英語で考える」練習です。









