「英語が公用語の国」と聞くと、住民の多くが家庭でも英語を話し、英語を母語として育つ国を想像するかもしれません。しかし実際には、英語が公用語でも、多くの人の母語は英語ではない国が世界に数多くあります。
インドではヒンディー語、ベンガル語、タミル語など、フィリピンではフィリピノ語や地域言語、ケニアではスワヒリ語や各民族の言語が日常生活で使われます。その一方で、学校、行政、裁判、ビジネス、異なる言語集団同士の会話には英語が使われます。
つまり英語は、「国民全員の家庭の言葉」ではなく、多言語社会を横につなぐ共通の道具として公的な地位を持っているのです。
この記事の要点
・公用語は行政や教育など公的な場面で使う言語
・母語は幼い頃から家庭や地域で身につける言語
・英語が公用語でも、家庭では別の言語を使う国が多い
・英語は多言語社会の橋渡し、旧植民地時代の制度、国際接続などの理由で残っている
・公用語だから全国どこでも全員に通じる、とは限らない
Contents
- 1 公用語と母語は同じではない
- 2 英語が公用語でも母語ではない代表的な国
- 3 インド|英語が国内の言語集団をつなぐ
- 4 シンガポール|英語は民族間の共通語、母語科目は別
- 5 フィリピン|英語とフィリピノ語、地域言語が共存する
- 6 ケニア|スワヒリ語が国語、英語とともに公用語
- 7 南アフリカ|12の公用語の一つとしての英語
- 8 なぜ母語ではない英語が公用語になったのか
- 9 公用語でも英語が全員に通じるとは限らない
- 10 母語ではない英語は「不完全な英語」なのか
- 11 旅行者が覚えておきたいこと
- 12 「英語を公用語にする」ことの光と影
- 13 よくある質問
- 14 まとめ|英語は「母語の代わり」ではなく「社会をつなぐ言語」
- 15 参考資料
公用語と母語は同じではない
まず、公用語と母語の違いを整理しましょう。
| 言葉 | 意味 | 主な場面 |
|---|---|---|
| 公用語 | 国や自治体が公的な業務で使用する言語 | 法律、行政、裁判、教育、公文書 |
| 国語・国民語 | 国の象徴や国民統合に関わる言語 | 国民文化、教育、政治的象徴 |
| 母語・第一言語 | 幼少期から家庭や地域で自然に身につける言語 | 家庭、友人、地域生活、感情表現 |
| 共通語 | 母語の異なる人同士が意思疎通に使う言語 | 地域間交流、仕事、商業、移動 |
| 第二言語 | 母語の後に学び、社会生活でも使う言語 | 学校、職場、行政、都市生活 |
一人の人が、家庭ではタミル語、学校では英語、近所では別の地域語、国全体のニュースではヒンディー語を使うこともあります。どれか一つだけが「本当の言語」で、ほかは飾りというわけではありません。場面ごとに複数の言語が役割を分担しています。
英語を公用語とする国の地域別一覧は、英語を公用語とする国一覧で紹介しています。この記事では、その中でも「公用語なのに、多くの人の母語ではない」という構造に焦点を当てます。
しゅみすけ(大山俊輔)

英語が公用語でも母語ではない代表的な国
実際の言語事情は地域や人によって異なりますが、代表例を整理すると次のようになります。
| 国 | 英語の公的な位置づけ | 家庭・地域で使われる主な言語の例 |
|---|---|---|
| インド | 連邦政府の公的業務でヒンディー語とともに使用 | ヒンディー語、ベンガル語、マラーティー語、テルグ語、タミル語など |
| シンガポール | 4公用語の一つ。教育・行政・ビジネスで中心的 | 中国語系諸語、マレー語、タミル語、英語など |
| フィリピン | フィリピノ語と並ぶ公用語 | フィリピノ語、セブアノ語、イロカノ語、ヒリガイノン語など |
| マレーシア | 国語はマレー語。英語は教育・ビジネス等で広く使用 | マレー語、中国語系諸語、タミル語など |
| ケニア | スワヒリ語と並ぶ公用語 | スワヒリ語、キクユ語、ルオ語、ルヒヤ語など |
| 南アフリカ | 12公用語の一つ | ズールー語、コサ語、アフリカーンス語、ソト語など |
| ナイジェリア | 連邦レベルの行政・教育・法律で広く使用 | ハウサ語、ヨルバ語、イボ語ほか多数 |
| ガーナ | 行政・教育で使用される公的な共通語 | アカン諸語、エウェ語、ガ語、ダグバニ語など |
| ウガンダ | 公用語の一つ | ルガンダ語、ルニャンコレ語、アテソ語など |
| ザンビア | 行政・教育で英語を使用 | ベンバ語、ニャンジャ語、トンガ語、ロジ語など |
| パプアニューギニア | 公用語の一つ | トク・ピシン、ヒリ・モツ語、多数の地域言語 |
| フィジー | 公用語の一つ | フィジー語、フィジー・ヒンディー語など |
表では分かりやすく代表言語だけを挙げました。実際には、一つの国の中で数十から数百の言語が使われる場合があります。また、「母語」の統計は、第一言語、家庭で最も使う言語、民族的な言語など調査項目によって数字が変わります。
インド|英語が国内の言語集団をつなぐ
インドは「英語が公用語でも母語ではない国」を理解する代表例です。ただし、制度の説明には注意が必要です。インド憲法では連邦の公用語をヒンディー語と定め、英語も公的業務で継続して使用されています。インドに「国語が一つだけある」と単純に考えることはできません。
憲法の第8附則には22の指定言語があり、それ以外にも多くの言語が話されています。北部ではヒンディー語が広く使われる一方、南部ではタミル語、テルグ語、カンナダ語、マラヤーラム語などが強い基盤を持ちます。ベンガル語、マラーティー語、グジャラート語などにも巨大な話者人口があります。
この環境で英語は、次のような役割を担います。
- 連邦政府と州をつなぐ行政言語
- 州を越える大学・高等教育の言語
- IT、医療、科学、法律、国際ビジネスの言語
- ヒンディー語を母語としない地域との橋渡し
ただし、英語を高い水準で使える人の割合は、地域、教育、階層、職業によって大きく異なります。「インド人は全員英語を話せる」わけではありません。英語が社会的機会につながる一方、教育格差を映す言語でもあります。
国名・国籍・言語名の違いは、インドは英語で?India・Indian・Hindiの違いでも解説しています。
シンガポール|英語は民族間の共通語、母語科目は別
シンガポール憲法は、マレー語、標準中国語、タミル語、英語の4言語を公用語と定めています。国語はマレー語ですが、学校教育、行政、ビジネスでは英語が中心的な役割を持ちます。
シンガポール政府は、英語を世界経済や異なる民族集団をつなぐ言語として位置づける一方、中国語、マレー語、タミル語を文化的なルーツにつながる「Mother Tongue Languages」として教育しています。学校では英語を授業の主要言語とし、児童・生徒は母語科目も学びます。
ここでいう「Mother Tongue」は、言語学的な意味で各家庭の第一言語と完全に一致するとは限りません。現在は家庭で英語を最もよく使う子どもも多く、民族・教育政策上の区分として中国語、マレー語、タミル語を学ぶ仕組みです。
さらに、日常会話では英語を基盤に中国語系諸語、マレー語、タミル語などの影響を受けたシングリッシュも使われます。シンガポールの英語は、単にイギリス英語を移植したものではなく、多言語社会の中で育った英語です。
関連する表現はSingapore・Singaporean・Singlishの違いも参考にしてください。
フィリピン|英語とフィリピノ語、地域言語が共存する
フィリピン憲法は、コミュニケーションと教育のための公用語をフィリピノ語と英語と定めています。同時に、地域言語を各地域の補助公用語・教育の補助手段として位置づけています。
フィリピンにはセブアノ語、イロカノ語、ヒリガイノン語、ワライ語など多様な言語があります。家庭や地域ではそれらを話し、全国規模のメディアではフィリピノ語、学校・政府・BPO産業・国際交流では英語を使う、といった切り替えが見られます。
英語は植民地統治の歴史を持つ言語ですが、独立後のフィリピン社会の中で教育、メディア、文学、仕事の言語として独自に発展しました。フィリピン英語には発音や語彙の特徴があり、世界英語の一つとして捉えられます。
ケニア|スワヒリ語が国語、英語とともに公用語
ケニア憲法第7条は、スワヒリ語を国語とし、スワヒリ語と英語を公用語と定めています。また、国家に言語の多様性と先住言語の発展を促進することを求めています。
日常生活ではスワヒリ語や地域・民族の言語が使われ、英語は学校、高等教育、法律、行政、企業などで重要です。都市部では、英語、スワヒリ語、若者言葉などを場面によって柔軟に切り替える人もいます。
ケニアの例は、「英語が公用語だから現地語の価値が低い」のではなく、国語・公用語・地域言語がそれぞれ異なる役割を持てることを示しています。
南アフリカ|12の公用語の一つとしての英語
南アフリカでは、英語は12公用語の一つです。2023年には南アフリカ手話が12番目の公用語となりました。英語は政府、ビジネス、高等教育、全国メディアで大きな影響力を持ちますが、家庭で最もよく使われる言語としては多数派ではありません。
Statistics South Africaが示す2022年の家庭内言語では、ズールー語が24.4%、コサ語が16.3%、アフリカーンス語が10.6%などとなっています。英語は公的影響力の大きさに比べ、家庭言語としての位置は異なります。
このような社会では、公用語として同じ法的地位があっても、実際に使われる範囲、出版物、学校、仕事上の力は均等とは限りません。法律上の平等と社会的な影響力は分けて考える必要があります。
なぜ母語ではない英語が公用語になったのか
1.植民地統治の制度が残った
アジア、アフリカ、カリブ海、太平洋の多くの国では、イギリスやアメリカの統治下で英語が行政、裁判、学校の言語として導入されました。独立後に政治体制が変わっても、法律、教科書、公務員制度、大学などを一度に別の言語へ置き換えるのは容易ではありません。
そのため英語は、植民地支配の記憶を持つ一方、独立国家の制度を動かす実用的な言語として残りました。この二面性を無視して「便利だから採用した」とだけ説明すると、歴史の重要な部分が抜け落ちます。
2.国内に多数の言語がある
多言語国家で一つの民族言語だけを全国公用語にすると、ほかの言語集団が不利になる場合があります。そこで、誰にとっても母語ではない、あるいは特定の最大集団だけの言語ではない英語が、中立的な橋渡しとして選ばれることがあります。
もちろん英語も完全に中立ではありません。英語教育を受けられた人と受けられなかった人の間に格差を生む可能性があります。それでも、国内の政治的均衡を保つ選択肢として使われてきました。
3.国際経済・科学・高等教育へ接続しやすい
英語は国際ビジネス、航空、科学技術、インターネット、高等教育で広く使われます。英語を公的に維持することは、海外市場、投資、留学、研究、観光との接続に役立ちます。
シンガポールのように、英語を国内の民族間共通語であると同時に、世界経済へ接続する言語として政策的に強化した国もあります。
4.国内移動と都市化が共通語を必要とする
異なる地域出身者が都市へ移動し、同じ学校や職場で暮らすと、家庭の言語だけでは会話できない場面が増えます。英語や、英語を基盤とするクレオール・ピジンが、新しい都市の共通語になることがあります。
公用語でも英語が全員に通じるとは限らない
「英語が公用語」という情報は、旅行者にとって有益です。入国書類、道路標識、政府サイト、ホテル、航空、銀行などで英語を見つけやすいからです。しかし、次の点には注意が必要です。
- 地方では地域言語が中心の場合がある
- 英語教育へのアクセスに地域差・経済格差がある
- 読み書きはできても会話に慣れていない人がいる
- 行政上は英語でも、窓口担当者が日常的に使うとは限らない
- 母語話者同士の会話では現地語が自然に選ばれる
- 英語の発音・語彙がアメリカやイギリスと異なる
英語は世界のどこで通じる?でも解説したとおり、英語の通じやすさは国名だけでなく、空港、ホテル、都市、地方、医療・行政などの場面で変わります。
母語ではない英語は「不完全な英語」なのか
いいえ。英語を母語としない社会で使われる英語は、ネイティブ英語の失敗版ではありません。フィリピン英語、シンガポール英語、インド英語、ナイジェリア英語など、それぞれの社会で発音、語彙、表現、会話の規範が発達しています。
たとえば、現地の食文化、制度、親族関係、宗教、暮らしを表すには、その社会固有の単語や使い方が必要です。英語が地域言語から言葉を取り入れるのは、英語の歴史そのものでもあります。
国際的な場面で重要なのは、特定の母語話者の発音を完全に再現することより、相手に合わせて明確に話し、分からない点を確認し合うことです。世界の英語話者には、母語話者より第二言語・外国語として英語を使う人が多く含まれます。詳しい規模は世界では何人が英語を話している?をご覧ください。
しゅみすけ(大山俊輔)
旅行者が覚えておきたいこと
英語で話す前に、相手の言語を決めつけない
外見や国籍だけで「この人は英語を話す」「この人の母語は○○語」と判断しないようにしましょう。同じ国籍でも、家庭の言語、教育言語、得意な言語は違います。
最初に次のように尋ねれば十分です。
- Do you speak English?
英語を話せますか。 - Which language do you prefer?
どの言語がよいですか。 - Is English OK?
英語で大丈夫ですか。
現地語の挨拶は関係を近づける
英語で用事を済ませられる国でも、こんにちは、ありがとう、すみませんを現地語で言うと、相手の文化を尊重する姿勢が伝わります。英語が便利であることと、現地語が不要であることは同じではありません。
発音が違ったら、書いて確認する
地名、人名、数字、時刻は、英語同士でも発音の違いから聞き間違えることがあります。声を大きくするのではなく、画面や紙に書きましょう。
- Could you write it down?(書いていただけますか)
- Could you say that more slowly?(もう少しゆっくり言っていただけますか)
- Let me make sure I understood.(理解できたか確認させてください)
「英語を公用語にする」ことの光と影
英語は、多言語国家の行政を動かし、異なる集団をつなぎ、世界へ接続する力を持ちます。その一方で、英語が教育・就職・所得への門番になると、英語を学べる環境を持つ人が有利になります。
また、学校教育が英語だけに偏れば、子どもが最もよく理解できる母語で学ぶ機会や、地域言語を次世代へ継承する力が弱まる可能性があります。公用語政策は、便利さだけでなく、教育の公平、文化的権利、民族間の政治、植民地の歴史に関わる問題です。
だからこそ、多くの国は英語だけに一本化せず、複数の公用語、国語、地域の補助公用語、母語教育を組み合わせています。シンガポールの二言語教育、フィリピン憲法の地域言語規定、南アフリカの複数公用語制度などは、それぞれ異なる解決策です。
よくある質問
英語が公用語なら、英語ネイティブの国ですか?
いいえ。公用語は国の制度で使う言語、母語は幼い頃から家庭や地域で身につける言語です。英語が公用語でも、多くの住民が別の母語を持つ国があります。
英語が第二言語の国と同じ意味ですか?
重なることは多いですが、完全に同じではありません。公用語は法律・制度上の地位、第二言語は個人や社会での習得・使用のされ方を表します。詳しくは英語を第二言語として使う国一覧をご覧ください。
公用語と国語は違いますか?
違う場合があります。ケニアではスワヒリ語が国語で、スワヒリ語と英語が公用語です。シンガポールではマレー語が国語で、マレー語、標準中国語、タミル語、英語が公用語です。
英語が公用語なら旅行で困りませんか?
公的表示や観光サービスでは英語を見つけやすい傾向がありますが、全国・全場面で通じる保証ではありません。都市と地方、世代、職業、用件によって差があります。
まとめ|英語は「母語の代わり」ではなく「社会をつなぐ言語」
英語が公用語でも母語ではない国では、人々は家庭や地域で自分たちの言語を使いながら、学校、行政、裁判、仕事、民族間の交流で英語を使います。
英語が公用語になった背景には、植民地統治の歴史、多数の国内言語をつなぐ必要、国際経済や高等教育との接続があります。英語は便利な橋ですが、教育格差や地域言語の衰退という課題も伴います。
「英語が公用語」という一行の裏には、家庭の言葉、民族の歴史、教育、政治、仕事が重なった多言語社会があります。この視点を持つと、世界の英語はアメリカ英語とイギリス英語だけではないことが見えてきます。
参考資料
- Singapore Statutes Online:Constitution, Article 153A
- Singapore Ministry of Education:Mother Tongue Languages
- Supreme Court E-Library Philippines:1987 Constitution, Article XIV
- Kenya Law:Constitution of Kenya, Article 7
- Statistics South Africa:Language most often spoken in households









