
辞書で知らない単語を引くと、別の単語で説明されます。では、その説明に使われた単語を引いたらどうなるのでしょう。さらにその先を引き続けると、最後にはどこへ着くのでしょうか。
先に結論を言えば、あらゆる語を別の語で定義し続けることはできません。どこかで説明を止めるか、以前に使った語へ戻って循環するしかないからです。この問題に対して、「これ以上ほかの意味へ分解できない、すべての言語に共通する意味」を探した研究が、semantic primes(意味素数・意味原語)とNatural Semantic Metalanguage(NSM、自然意味論的メタ言語)です。
しゅみすけ(大山俊輔)
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辞書の定義は、なぜ循環するのか
たとえば、説明の仕組みを見るために、あえて単純化した例を作ってみます。
- good=positiveでdesirableなこと
- positive=goodな効果を持つこと
- desirable=goodなので、持ちたいと思うこと
goodを知りたかったのに、ぐるりと回ってgoodへ戻ってきました。knowを「情報を持っていること」、informationを「知られている事実」と説明しても、knowとknownの間に似た輪ができます。これは特定の辞書の記述を引用したものではなく、定義が循環する構造を示すための模式例です。
普通の辞書が悪いわけではありません。辞書は、読者がすでに知っている語を足場にして、未知の語へ橋を架ける道具です。利用者が十分な語彙を持っていれば、それで実用上は困りません。しかし「意味を一から組み立てる」という理論的な視点では、説明に使う足場そのものが問題になります。
制限定義語彙は、循環を小さくする
学習英英辞典は、この問題をかなり賢く処理しています。Longmanならおよそ2,000語、Oxford系ならおよそ3,000語といった制限定義語彙を設け、その範囲で見出し語を説明します。前回行った850語・2,000語・3,000語による定義実験でも、語数が増えるほど定義は短く自然になり、850語では言い換えの技術がより必要になることが見えました。
ただし、制限定義語彙は循環を減らす仕組みであって、論理的に完全に消す仕組みではありません。2,000語の一語一語を同じ2,000語で説明すれば、どこかに相互参照が残り得ます。すべてを定義するには、最後に「ここから先は定義しない」という出発点が必要です。

semantic primesとは「意味の素数」
NSMは、ポーランド出身の言語学者Anna Wierzbicka(アンナ・ヴィエルジュビツカ)が1970年代初頭に始め、のちにCliff Goddardらと発展させてきた意味論の理論・分析法です。初期の候補は少数でしたが、長年にわたる言語比較を通して改訂され、現在のNSM研究では一般に65のsemantic primesが提案されています。
primeは「重要単語」という意味ではありません。数学の素数が、それ以上小さい整数の積へ分解できないように、semantic primeはほかの意味を使って循環なく定義できない、最小の意味だと考えられています。
代表例を分野別に見ると、次のようになります。これは全一覧ではなく、理解のための抜粋です。
| 意味の領域 | 英語での代表的な表現 | 大まかな役割 |
|---|---|---|
| 人・もの | I, YOU, SOMEONE, SOMETHING, PEOPLE, BODY | 誰・何について話すか |
| 心 | THINK, KNOW, WANT, FEEL, SEE, HEAR | 思考・知識・欲求・感覚 |
| 発話 | SAY, WORDS, TRUE | 言うことと真偽 |
| 行為・出来事 | DO, HAPPEN, MOVE, TOUCH | 行為や変化を表す |
| 評価・性質 | GOOD, BAD, BIG, SMALL | 評価や基本的な性質 |
| 論理 | NOT, MAYBE, CAN, BECAUSE, IF | 否定・可能性・理由・条件 |
| 量 | ONE, TWO, SOME, ALL, MUCH/MANY, LITTLE/FEW | 数や範囲を組み立てる |
| 時・場所 | NOW, BEFORE, AFTER, HERE, ABOVE, BELOW, FAR, NEAR | 時間と空間の関係 |
最新の表や各言語版は、NSM研究者が運営するNSM Approachの資料ページで確認できます。ここで大切なのは、英語のIやGOODという綴りそのものが普遍的だ、と言っているのではないことです。普遍的だと提案されているのは意味であり、各言語にはその意味を表す語や定型表現、すなわちexponent(具現形)があると考えます。
単語だけでなく「組み合わせ方」も必要
65個の部品を並べるだけでは、複雑な意味は作れません。NSMには、誰かが何かを思う、何かが起こったために誰かが何かを感じる、といった基本的な結合の型、いわば小さな文法があります。意味素数とその文法を使い、難しい概念を還元的な言い換えで表すものをexplication(意味記述)と呼びます。
たとえばforgive(許す)を、厳密な学術分析ではなくNSM風の簡略例で表すと、次のような流れになります。
以前、YがXに何か悪いことをした。
Xは「Yは私に悪いことをした」と思った。
このため、Xは悪い何かを感じた。
しばらく後、Xは「私はこのことのために、Yに対して悪い何かを感じ続けたくない」と思った。
「許す=赦免する」と難しい同義語へ逃げず、誰が、何をし、どう思い、どう感じ、何を望まなくなったかへ分解しています。実際のNSM分析では、語順、意味の範囲、文化的な含みまで、さらに厳密に検討されます。
semantic moleculesという中間部品
意味素数だけですべてを毎回ゼロから説明すると、記述は非常に長くなります。そこでNSMでは、primeではないが、primeを使って定義した後に再利用できるsemantic molecules(意味分子)も扱います。Wierzbickaの概説では、普遍的な意味分子としておよそ50の候補にも言及されています。
これは料理にたとえると分かりやすいでしょう。意味素数が素材の最小単位なら、意味分子は一度作った出汁やソースです。最終的には素材へ分解できますが、複雑な料理を説明するたびに最初から作り直す必要はありません。
Basic EnglishとNSMは、似ているが同じではない
| 比較点 | Basic English | NSM |
|---|---|---|
| 中心人物 | C・K・オグデン | アンナ・ヴィエルジュビツカ、Cliff Goddardら |
| 基本単位 | 英語の850語 | 約65の普遍的意味 |
| 主な目的 | 国際伝達・教育・実用表現 | 意味分析・言語間比較 |
| 日常会話 | 制約はあるが使用を目指す | 通常会話用の言語ではない |
| 共通点 | 少数の基本要素から、言い換えで複雑な意味を組み立てる | |
オグデンのBasic Englishは、850語で現実に英語を使えるようにする設計です。そのため、物や生活に必要な具体語も多く残します。一方のNSMは、英語だけでなく多様な言語にまたがる意味の共通基盤を探し、循環しない分析言語を作ろうとします。
それでも両者には、確かな親縁性があります。オグデンはI・A・リチャーズと『The Meaning of Meaning』を書き、「ことば」と「意味」の関係を問い、Basic Englishでは言い換えを設計の中心に置きました。NSMもまた、難しい抽象語を同義語で置き換えるのではなく、小さい意味の組み合わせへほどきます。語彙を減らすこと自体ではなく、意味の作られ方を見えるようにする点で、二つは響き合っています。
しゅみすけ(大山俊輔)
本当に65個は普遍的なのか
もちろん、NSMの提案が言語学全体で確定した事実というわけではありません。ある意味が本当に分解不可能か、異なる言語の表現が本当に同じ意味か、研究者の分析判断がどこまで入るかは議論されます。意味記述が長くなりやすいことや、自然な文章としては不格好になることも弱点です。
一方で、曖昧な専門語を別の専門語で言い換えて終わらせず、文化や言語を越えて比較可能な形まで分解しようとする方法には大きな価値があります。NSMは「65個で世界のすべてを簡単に話せる」という魔法ではなく、意味について誤魔化さずに考えるための実験装置と見るのが適切でしょう。
AIの時代に、意味素数は再び面白くなる
生成AIは大量の文章から自然な言い換えを作れます。しかし、自然に聞こえる説明と、意味の循環を避けた説明は同じではありません。2025年には、大規模言語モデルにNSMの意味記述を生成させる研究も発表されました。モデルが意味分析を補助できる可能性を示す一方、出力が本当に元の概念と等価かを確かめるには、人間による精密な検討がなお必要です。
オグデンの850語制約とsemantic primesをAIに与え、同じ概念を説明させて比較すれば、「流暢さ」「分かりやすさ」「意味の厳密さ」がどこで一致し、どこで分かれるかを実験できます。これはBasic Englishを昔の計画言語として眺めるだけでなく、現代の言語モデル研究へ接続する入口になります。
まとめ:意味の説明には、最後の足場がいる
- 普通の辞書は、既知語を足場にするため定義が循環することがある
- 制限定義語彙は循環を減らし、学習者に説明の入口をそろえる
- NSMは約65のsemantic primesを、これ以上分解しない意味の出発点として提案する
- primesは英単語そのものではなく、各言語に具現する普遍的な意味の候補である
- Basic Englishは実用言語、NSMは意味分析の道具だが、還元的な言い換えという発想でつながる
辞書の最後のページに「意味の答え」が載っているわけではありません。意味は、別の語との関係の中で理解されます。だからこそ、どこを出発点にするかが重要です。オグデンが850語で英語世界の骨組みを見せたように、Wierzbickaらは約65の意味から、人間が世界を理解する骨組みを見ようとしました。
参考資料
- NSM Approach:Resources
- Cambridge Handbook:Natural Semantic Metalanguage and Context
- University of New England:Natural Semantic Metalanguage
- Anna Wierzbicka:Natural Semantic Metalanguage
- Towards Universal Semantics With Large Language Models
意味素数を研究上の分析だけでなく、翻訳しやすい実用的な説明へ広げる試みは、Minimal Englishとは?semantic primesからつくる伝わりやすい英語で紹介しています。
semantic primesによる意味分解を実際の抽象語で試した続編として、freedom・fairness・respectの言い換え実験も公開しました。
意味素数が文化固有の概念をどう説明するかは、日本語の「甘え・もったいない・おつかれさま」を分解する実験でも確認できます。
意味素から文化的な振る舞いの記述へ進む具体例は、「遠慮・空気を読む・よろしくお願いしますを英語で説明するcultural scripts」で紹介しています。
意味素を文化的な会話の設計へ広げる具体例として、「察する・本音と建前・和を乱さないの暗黙コミュニケーション」も公開しています。
semantic primesによる意味分析と、Basic English・Minimal Englishによる言い換えの違いは、Basic English・NSM・Minimal Englishの違いをご覧ください。









