
英語には、正しい発音と正しい使い方が一つだけあり、それはアメリカ人やイギリス人が決める——。日本の英語教育には、長くそんな前提がありました。
しかし、アジアを歩けば、インド英語、シンガポール英語、フィリピン英語など、地域の歴史や文化を反映した多様な英語が実際に使われています。英語を母語としない人同士が、英語を共有して仕事や交流を行う場面も日常的です。
社会言語学者の本名信行は、こうした現実を「英語の崩れ」ではなく、英語が国際化し、多文化言語へ変化した結果として研究しました。そして日本人にも、英米人の模倣だけを目標にせず、理解可能で文化的な内容を運べる自分たちの英語を育てるよう呼びかけました。
しゅみすけ(大山俊輔)
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本名信行とは?
本名信行(1940〜2022)は、青山学院大学名誉教授の社会言語学者です。英語の国際化と多様化、アジア英語、異文化間コミュニケーション、言語政策、英語教育などを研究しました。
青山学院大学国際政治経済学部で教授を務め、同大学の英語教育研究センター初代センター長を担当。また、日本「アジア英語」学会を創設し、日本におけるWorld Englishes(世界の英語)研究を牽引しました。
主な著書・編著に『アジアの英語』『英語はアジアを結ぶ』『国際言語としての英語』『世界の英語を歩く』などがあります。その研究は、英語を英米の国内言語としてだけでなく、アジアの多様な人々が共有するコミュニケーション資源として捉え直すものでした。
World Englishes(世界の英語)とは
World Englishes と複数形で表す考え方は、世界各地で使われる英語には、それぞれの歴史・社会・文化に根ざした多様な形があることを示します。
英語はイギリスから北米やオセアニアへ広がっただけではありません。植民地支配、教育、行政、貿易、移民、メディアなどを通してアジアやアフリカへ広がり、地域社会のなかで独自の役割を持つようになりました。
たとえばシンガポールやインドでは、英語は複数の民族・言語集団をつなぐ社会的な言語として使われています。その過程で発音、語彙、文法、会話の進め方に地域的な特徴が生まれました。
それらをすべて「英米英語からの間違い」と見るだけでは、現実の機能を理解できません。本名は、英語が国際化すると同時に多様化するという二つの動きを重視しました。
「英語はアジアの言語である」とはどういう意味か
英語の起源がアジアにある、という意味ではありません。現代のアジアでは、英語が域内の異なる言語を話す人々を結ぶ共通語として、広く使われているということです。
日本企業がタイやベトナムの拠点と話すとき、相手が英米の母語話者とは限りません。国際会議、観光、大学、オンライン交流でも、アジア人同士の英語使用が増えています。
そこでは、英米文化の細かな慣習を完全に再現する力より、異なる訛りを聞き取り、分かりやすく話し、必要なら説明や確認を加える力が重要です。英語をアジアの共有資源として見ると、日本人は「永遠の外国人学習者」ではなく、その場を構成する正当な英語使用者になります。
アジア英語は「間違った英語」なのか
言語の違いには、少なくとも二種類あります。
一つは、ある共同体で広く共有され、意味が安定している地域的な特徴です。もう一つは、話者個人の言い間違いや、相手に意味が伝わらない表現です。この二つを区別しなければなりません。
英米英語と違うだけで、すぐに誤りとは限りません。一方で、「自分らしい英語だから」と言って、相手が理解できない発音や曖昧な文法を放置してよいわけでもありません。
判断の中心になるのは、理解可能性、文脈、使用者間の合意、そしてその表現が実際にどの範囲で共有されているかです。

Japanese Englishとは何か
Japanese English は、日本語や日本文化の影響を受けながら、日本人が使う英語を捉える概念です。日本人特有の発音、語彙、談話の進め方、文化的内容の表現などが研究対象になります。
ただし、日本で使われる英語が、シンガポール英語のように社会全体で安定した一つの変種として完成している、という意味ではありません。学習途中の個人的な誤りと、共有されうる日本的特徴を慎重に見分ける必要があります。
本名の議論で重要なのは、日本語の影響を恥として消し去るのではなく、国際的に理解される形へ整えながら、日本の経験や価値観を伝えられる英語を育てるという方向性です。
日本文化を英語へ持ち込む
kaizen、manga、anime、omotenashi のように、日本語由来の語が英語の会話へ入ることがあります。重要なのは、その語を使うこと自体ではなく、相手が知らない場合に説明できることです。
たとえば nemawashi とだけ言って終わらず、informal consensus-building before a formal decision のように補足すれば、日本文化に根ざした概念を英語で共有できます。
英語を使うとは、日本的な内容を英米の内容に置き換えることではありません。自分の文化を、異なる背景の人にも理解できる形で差し出すことです。
発音はどこまで直すべきか
日本語の音韻体系の影響で、rice と lice、right と light の区別が難しかったり、子音の間に母音が入ったりすることがあります。
こうした特徴が常に問題になるわけではありませんが、意味の取り違えを起こす場合は練習が必要です。目標は「日本人だと気づかれない発音」ではなく、「多様な相手に負担なく理解される発音」です。
優先順位をつけるなら、次が重要です。
- 意味を区別する主要な子音・母音
- 単語の強勢
- 文のなかで重要語を目立たせる強弱
- 意味のまとまりごとの区切り
- 速すぎず、相手に合わせた話す速度
訛りは話者の背景を示す自然なものです。しかし、理解を妨げる箇所は調整する。この二つを両立させます。
アジア英語を知ると、リスニングが変わる
米英の教材音声だけを聞いていると、実際の国際場面で多様な英語に戸惑います。インド、シンガポール、フィリピン、中国、韓国などの話者は、それぞれ異なるリズムや音の特徴を持っています。
多様な英語を聞く目的は、国別の訛りを面白がることではありません。一つの発音モデルだけを「英語」と思い込まず、音の違いを越えて意味を捉える柔軟性を育てることです。
同時に、自分の英語も相手から見れば多様な英語の一つです。相互に聞き取りやすく調整し、分からないときは確認する姿勢が必要になります。
しゅみすけ(大山俊輔)
大人の英語学習に生かす5つの方法
1.米英以外の話者を教材に加える
ニュース、講演、インタビューなどから、アジアを含む多様な英語に触れます。最初は字幕や原稿を併用し、音の特徴と内容を結びつけましょう。
2.「通じなかった箇所」を具体的に直す
訛り全体を消そうとせず、聞き返された単語、強勢、区切りを記録します。実際の理解に影響した箇所から直すほうが効率的です。
3.日本固有の話題を英語で説明する
食文化、職場慣行、地域、行事などを一分で説明します。固有語を使ったら、簡単な英語で定義や例を添える練習をします。
4.言い換えと確認を標準装備にする
In other words …、What I mean is …、Do you mean …? などを使い、意味を共同で調整します。通じる英語は、完成した一文だけでなく対話の技術で作られます。
5.目的に応じて規範を選ぶ
国際会話では理解可能性を優先しつつ、試験、契約書、論文などでは標準的な文法と語法をより厳密に守ります。「正しさを捨てる」のではなく、場面に必要な正しさを選びます。
功績と、議論の限界
本名信行の功績は、英語を英米中心の一枚岩として見る日本の常識を問い、アジアで実際に機能する多様な英語へ目を向けさせたことです。日本人学習者に、自らを劣った模倣者ではなく、国際的な英語使用者として捉える視点を与えました。
一方、Japanese Englishという言葉を使うだけで、個人の誤りが自動的に正当化されるわけではありません。何が共同体で共有された特徴で、何が理解を妨げる誤りなのかは、実証的に検討する必要があります。
また英語がアジアを結ぶ一方で、地域の少数言語を圧迫したり、英語力による格差を生んだりする側面もあります。英語の有用性と権力性を同時に見ることが大切です。
鳥飼玖美子・鈴木孝夫とのつながり
鳥飼玖美子は、ネイティブの模倣より理解可能性と意味交渉を重視しました。本名信行は、その考えをアジア各地の英語の実態から支え、日本人の英語も多様な世界の英語の一部として位置づけます。
鈴木孝夫が日本の立場や文化を伝えるための英語を論じたことともつながります。本名のJapanese Englishは、日本的内容を捨てず、国際的に通じる形へ調整する実践的な方向を示します。
英語や言語を研究してきた人物を、世界の言語学と日本の英学・翻訳・教育という二つの流れからたどる場合は、中間ガイド「言語を研究した人々|英語・言語学の歴史を変えた研究者・英学者」をご覧ください。
まとめ|日本人の英語を、世界へ開く
本名信行が示したのは、「英語は何でもあり」という考えではありません。英語には多様な形があり、評価の基準は英米との差だけでなく、誰とどのように理解し合えるかにも置かれるべきだということです。
日本語の影響をすべて恥じる必要はありません。ただし、相手に届く発音、明確な文法、背景を補う説明は必要です。
一つの理想的な英語を遠くから追い続けるより、多様な英語を聞き、自分の経験を語り、対話のなかで調整する。そうしてJapanese Englishを世界へ開くことが、アジアを結ぶ英語の第一歩になります。
主な参考資料
- 英語教育協議会「訃報:本名信行 青山学院大学名誉教授」
- 青山学院英語教育研究センター
- 青山学院大学 国際政治経済学会「本名信行」
- 本名信行「英語の国際的役割と企業の英語教育」
- 関西外国語大学「アジアのことばとしての英語を考える」
- 国立国会図書館サーチ「英語の国際化と多様化」
Japanese Englishを含む世界英語を、正誤だけでなく共同体と目的から評価する視点は、言語に間違いはあるのか?につながります。









