津田幸男とは?「英語支配」が生む便利さと不平等を考える

津田幸男と英語支配―世界共通語の便利さと不平等

英語が使えると、世界中の人と話せる。論文を読める。海外の仕事にも挑戦できる。これは間違いなく大きな利点です。

しかし、その便利さを支えるために、誰がどれだけの時間とお金を払っているのでしょうか。英語を母語としない人だけが、長い学習や翻訳の負担を背負ってはいないでしょうか。

この問いを日本で早くから正面に据えた研究者が、社会言語学者の津田幸男(つだ・ゆきお)です。本記事では、刺激の強い「英語支配」「英語帝国主義」という言葉を、英語嫌いのスローガンではなく、ことばと権力の関係を考えるための視点として読み解きます。

しゅみすけ(大山俊輔)

英語が便利であることと、英語中心の仕組みが公平であることは、同じではありません。津田幸男の議論は、この二つを分けて考えるところから始まります。

津田幸男とは?英語支配と言語政策を研究した社会言語学者

津田幸男は1950年、神奈川県生まれ。横浜国立大学を卒業後、米国サザン・イリノイ大学大学院で学び、1985年にスピーチ・コミュニケーション分野の博士号を取得しました。名古屋大学、筑波大学などで教育・研究に携わり、筑波大学名誉教授を務めています。

主な研究分野は、英語支配、言語政策、英語教育、異文化コミュニケーションです。1991年の著書『英語支配の構造』をはじめ、『英語支配とは何か』『英語支配とことばの平等』などを通じて、世界で英語の影響力が強まることの利益と代償を問い続けてきました。

重要なのは、津田の対象が「英語という言語そのもの」や「英語母語話者個人」ではない点です。問題にするのは、科学、ビジネス、外交、教育、インターネットなどの重要領域で、英語だけが事実上の参加条件になっていく制度と力関係です。

「英語支配」とは何か?

英語支配とは、英語が単によく使われるという意味にとどまりません。英語を使える人ほど情報、雇用、発言機会に近づきやすく、使えない人ほど参加しにくくなる構造を指します。

たとえば国際学会で、研究内容が同程度でも、英語表現に慣れた研究者のほうが評価されやすい。企業の会議で、専門知識は深くても英語で素早く割り込めない社員の意見が埋もれる。公共情報が英語だけなら、別の言語を使う住民には届かない。こうした小さな差が積み重なり、情報や意思決定へのアクセス差になります。

英語は世界をつなぐ一方で格差も生むため多言語で支える必要があることを示す図

英語が世界共通語になるメリット

もちろん、共通語には大きな合理性があります。話者の異なる人々が毎回すべての言語を学ぶことはできません。一つの共通媒体があれば、国境を越えた研究、取引、旅行、災害対応、オンライン交流の速度は上がります。

  • 連絡コストを下げる:異なる言語の人同士が直接やり取りしやすい
  • 知識へ近づける:論文、講義、ニュース、技術情報の選択肢が増える
  • 人の移動を助ける:留学、就職、観光、移住の可能性が広がる
  • ネットワーク効果が働く:使う人が増えるほど、共通語として便利になる

津田の議論を理解するうえでは、この便利さを否定しないことが大切です。論点は「英語は役に立つか」ではなく、その利益と負担が公平に配られているかなのです。

英語一極集中が生む4つの見えにくい負担

1.学習時間と費用が偏る

英語母語話者は、母語のまま国際的な場へ参加しやすい。一方、非母語話者は授業料、教材費、試験料、留学費用に加えて、何年もの学習時間を負担します。同じ会議に出るまでの「入場料」が違うのです。

2.内容より流暢さが評価されやすい

発音や応答速度が、専門性や思考力の代理指標になってしまうことがあります。英語が上手な人が有能とは限らず、英語に詰まる人の知識が浅いとも限りません。それでも現場では、流暢さが発言力へ変換されがちです。

3.情報の流れが一方向になりやすい

英語圏で生まれた情報は翻訳されて世界へ広がる一方、他言語で蓄積された知識は英訳されない限り見えにくい。すると、英語で発信された知識だけが「世界標準」に見える循環が生まれます。

4.他の言語が使われる領域を失う

大学、企業、行政などで英語への切り替えが進みすぎると、母語で専門的に考え、教え、議論する語彙や機会が育ちにくくなります。特に話者の少ない言語では、教育や公的領域から外されることが言語の存続にも影響します。

なぜ「英語帝国主義」と呼ぶのか

英語の世界的拡大は、英国の植民地支配、米国の政治・経済・軍事・文化的影響力、そしてグローバル化と切り離せません。津田が「帝国主義」という強い語を使うのは、英語の普及を純粋な人気投票の結果としてではなく、歴史的な権力関係のなかで見るためです。

ただし、現代の英語利用をすべて強制とみなすのも単純すぎます。学習者は就職や交流の機会を得るため、自ら英語を選ぶこともあります。また、世界各地の話者は英語を自分たちの表現へ作り替えてきました。英語の拡大には、支配の歴史と、人々による主体的な利用の両方があります。

企業の「英語公用語化」をどう考えるか

多国籍企業が社内の共通語を英語にすれば、拠点間の連絡が一本化され、外国籍社員も会議に参加しやすくなる可能性があります。一方で、導入の仕方によっては別の格差を生みます。

英語力を職務能力と混同する、学習時間を個人に丸投げする、英語の苦手なベテランの知識が会議から消える、といった問題です。津田は企業の英語公用語化に批判的な立場を示してきました。

実務上の焦点は「英語か日本語か」の二択ではありません。通訳・翻訳、資料の多言語化、会議前の文書共有、発言を急かさない進行、やさしい英語などを組み合わせ、言語の違いが参加資格の違いにならないようにすることです。

ことばの平等と言語権

津田の議論の中心には、誰もが慣れ親しんだ言語で学び、公共サービスを受け、社会に参加できるべきだという「言語権」の考えがあります。

これは、すべての場面で母語だけを使うという意味ではありません。共通語が必要な場面でも、翻訳や通訳を用意し、重要情報を複数言語で届け、非母語話者だけに適応費用を負わせない。共通語と多言語保障を組み合わせる発想です。

津田は不均衡を可視化するため、英語母語話者側も外国語を学ぶこと、英語教育を無償化すること、英語利用によって生じる利益の一部を再配分する「英語税」など、急進的な提案も行ってきました。すぐに実施できる政策というより、誰が国際共通語の費用を払うのかを考え直す思考実験として読むと、その狙いが見えやすくなります。

津田幸男の議論への反論と限界

英語支配論には、次のような反論があります。

  • 英語を拒めば、かえって学習者の進学・就職・情報アクセスを狭める
  • 英語はすでに英米だけの所有物ではなく、非母語話者同士も使う国際語である
  • 各地の英語には独自の発音や表現があり、英語の多様化は中心の権威を弱めうる
  • 言語の衰退には、国家政策、都市化、教育、世代交代など地域固有の要因もある

これらは重要な指摘です。だからこそ、津田の議論を「英語を学ぶな」と読むべきではありません。英語を身につけて機会を広げることと、英語だけを唯一の基準にしない制度をつくることは両立します。

本名信行のアジア英語論は、非母語話者が英語を自分たちの道具にする可能性を示します。鳥飼玖美子の国際共通語としての英語論も、母語話者の模倣ではなく、伝え合う力を重視します。これらは津田への反論であると同時に、英語中心主義を内側から弱める方法ともいえます。

英語学習者が持っておきたい5つの視点

  1. 英語は戦略的に学ぶ:必要な目的に合わせ、完璧な母語話者像を追わない
  2. 日本語でも深く考える:母語の語彙と思考力を捨てず、必要な概念を英語と結ぶ
  3. 多様な英語に触れる:英米だけでなく、アジアを含むさまざまな話者の英語を聞く
  4. 制度上の支援を求める:翻訳、字幕、通訳、文書共有は甘えではなく参加を支える仕組み
  5. 伝える側も負担を分ける:平易に話す、言い換える、理解を確認する

しゅみすけ(大山俊輔)

英語力を伸ばしながら、英語力だけで人の価値を測らない。この二つを同時に守ることが、津田幸男の問いを学習へ生かす現実的な答えです。

英語や言語を研究してきた人物を、世界の言語学と日本の英学・翻訳・教育という二つの流れからたどる場合は、中間ガイド「言語を研究した人々|英語・言語学の歴史を変えた研究者・英学者」をご覧ください。

まとめ:英語という便利な道の「通行料」を考える

津田幸男の英語支配論は、英語の便利さの陰にある費用と権力を見えるようにします。共通語は世界をつなぎますが、その道へ入るための距離や通行料は、誰にとっても同じではありません。

必要なのは英語を捨てることではなく、英語を使いつつ、翻訳・通訳・母語教育・多言語情報によって参加の条件を整えることです。英語を「唯一の正解」ではなく、複数あるコミュニケーション手段の一つとして扱う。そこから、ことばの平等に近い国際交流が始まります。

あわせて、鈴木孝夫の「ことばと文化」や、大津由紀雄のことばへの気づきも読むと、英語と母語を対立させずに考える視野がさらに広がります。

参考文献・関連資料

この記事を書いた人
しゅみすけ(大山俊輔)

b わたしの英会話および英語コーチングGRIT/be:RIZE代表。米国MBA取得、外資系企業4社での勤務経験を持ち、これまで多くの大人の英語学習を支援。日本語と英語の処理構造の違いに着目した「英語OS」の考え方をもとに、独学で伸び悩む人の学び直しをサポートしています。

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