
英語には「正しい発音」が一つだけあり、それ以外は崩れた話し方なのでしょうか。実際には、同じ人でも相手や場面によって発音・語彙・文法を変えます。しかも、その変化は気まぐれではなく、社会集団や地域、会話への注意の向け方と規則的に結びつくことがあります。
こうした言語の変異を、実際の話者のデータから明らかにしたのが、アメリカの言語学者ウィリアム・ラボフ(William Labov)です。ニューヨークの百貨店で店員の fourth floor を調べた研究は、社会言語学を代表する調査として知られています。
- ウィリアム・ラボフが「社会言語学の父」と呼ばれる理由
- ニューヨーク百貨店調査で何がわかったのか
- 同じ人の話し方が場面によって変わる理由
- 言語変化を「進行中」に観察する考え方
- 英語の方言・訛りを見るときの注意点
Contents
ウィリアム・ラボフとは?
ウィリアム・デイヴィッド・ラボフ(1927–2024)は、言語の変異と変化を数量的・実証的に研究したアメリカの言語学者です。ペンシルベニア大学で長く研究・教育に携わり、現代社会言語学の形成に大きな役割を果たしました。
ラボフは当初、家業で工業化学者として働いた後、30代で言語学へ転じました。研究室で作られた例文だけでなく、街・島・家庭・地域社会で実際に話される言葉を録音し、どの変異が誰に、どんな場面で、どの程度現れるかを分析しました。
ブルームフィールド以来の観察重視を受け継ぎながら、話者の社会的背景とスタイルを分析へ本格的に組み込んだ点が大きな特徴です。
しゅみすけ(大山俊輔)
社会言語学とは?
社会言語学(sociolinguistics)は、言語と社会の関係を研究する分野です。たとえば、次のような問いを扱います。
- 地域によって発音や語彙がどう違うのか
- 年代・社会集団・ネットワークと話し方に関係があるか
- 同じ人が友人、職場、面接で話し方をどう変えるか
- ある表現が「上品」「くだけている」「地元らしい」と評価されるのはなぜか
- 言葉の変化が、どの集団からどのように広がるのか
重要なのは、社会的な違いが言語へ一方的に反映されるだけではないことです。話し方は、所属意識や距離感、場面での立場を示す資源にもなります。
出発点:マーサズ・ヴィニヤード島の調査
ラボフの修士研究では、マサチューセッツ州沖のマーサズ・ヴィニヤード島で、house や right などに含まれる二重母音の発音を調べました。
特定の発音は単純に古い世代へ多かったのではなく、島への帰属意識や本土からの観光客に対する態度とも関係していました。言語変化を理解するには、年齢や地域だけでなく、話者がその地域をどう捉え、自分をどこに位置づけているかを見る必要があると示した研究です。
有名なニューヨーク百貨店調査

ラボフは1960年代初頭、社会的な位置づけの異なるニューヨークの3つの百貨店で、店員が母音の後の /r/ をどのように発音するかを調べました。当時のニューヨーク英語では、語末や子音前の /r/ を発音するかどうかに社会的な評価の違いがありました。
なぜ「fourth floor」なのか
ラボフは、目的の売り場を店員に尋ね、答えが自然に fourth floor になるようにしました。この句には、調査対象となる /r/ が二つ含まれます。
- 店員から最初の自然な答えを得る
- Excuse me? などと聞き返す
- 店員がより注意深く繰り返した発音を記録する
この方法により、百貨店間の違いだけでなく、同じ話者が自然な発話から注意深い発話へ移るとどう変わるかも比較できました。
調査から見えたこと
- 社会的評価の高い百貨店ほど、評価の高まりつつあった /r/ が多く現れる傾向があった
- 聞き返された後の、より注意深い発音では /r/ が増える傾向があった
- 中間的な百貨店では、注意深い反復時に変化が特に目立った
最後の点は、社会的に望ましいと意識された形へ強く寄せるハイパーコレクション(過剰修正)を考えるうえでも重要です。ただし、個々の話者を「上流・下流」と断定する調査ではなく、店舗の社会的な位置づけと集団的傾向を比較したものです。
「言語変異は自由な揺れではない」
それ以前の言語研究では、同じ意味を表す複数の言い方があると、単なる揺れや不規則な例外として扱われることがありました。ラボフの研究は、変異が次のような要因と確率的かつ規則的に結びつくことを示しました。
| 要因 | 例 |
|---|---|
| 言語内部 | 音の位置、前後の音、文法環境 |
| 社会的要因 | 年代、社会集団、地域、コミュニティ |
| スタイル | 自然な会話、注意深い発話、朗読 |
| 社会的評価 | 威信のある形、地域らしい形、偏見を受ける形 |
「必ずこの人はこの発音をする」という決定論ではありません。ある条件で特定の形が現れやすくなるという分布を、多数の発話から捉える考え方です。
同じ人でも話し方は変わる:スタイル・シフティング
私たちは一人につき一つの固定した話し方を持っているわけではありません。友人との雑談、接客、面接、スピーチでは、発音・語彙・文の組み立て方が変わります。これをスタイル・シフティング(style-shifting)と呼びます。
たとえば、同じ英語話者でも次のように変わりえます。
- going to と gonna を場面で使い分ける
- 語末の音を丁寧な場面では明瞭に発音する
- 地元の友人とは地域色の強い語彙や発音を使う
- 公的な場では標準的と評価される形へ寄せる
これは「普段の話し方が間違っているから直す」のではなく、話者が複数のスタイルを持ち、社会的な状況に応じて選んでいると捉えられます。
言語変化を進行中に観察する
ラボフは、昔の文献と現在を比べるだけでなく、現在の世代差から変化を推定する見かけの時間(apparent time)という方法を発展させました。
同じ地域で高齢層・中年層・若年層の使用率が規則的に違えば、社会全体で進む変化を示す可能性があります。ただし、単なる年齢による一時的な話し方の違いかもしれないため、同じ地域を後年に再調査する実時間(real time)の比較も重要です。
「標準英語」と方言をどう考える?
ラボフの研究が英語学習にもたらす重要な視点は、方言や非標準変種にも文法的な規則があるということです。
標準英語は教育・出版・公的場面で広く使われる有用な変種ですが、言語学的に唯一「論理的で完全な英語」だから標準になったわけではありません。歴史・制度・権力・社会的評価によって広く採用された側面があります。
ラボフはアフリカ系アメリカ人英語(AAVE)の研究でも、非標準変種を「言語能力の不足」とみなす欠如モデルに反対し、そこに一貫した規則があることを実証的に示しました。
しゅみすけ(大山俊輔)
英語学習者がラボフから学べる4つのこと
1.訛りは能力の低さを意味しない
発音には、地域・世代・アイデンティティが反映されます。聞き慣れない発音と、言語能力の不足を混同しないことが大切です。
2.教科書英語と会話英語の違いは自然
自然会話では音の脱落・短縮・くだけた語彙が増えます。これは無秩序ではなく、場面や音環境に応じた規則性を持ちます。
3.自分の英語も場面によって変えてよい
プレゼンでは明瞭に、友人との会話ではくだけて話すなど、複数のスタイルを持つことは自然な言語能力の一部です。
4.「ネイティブらしさ」は一種類ではない
英語は地域・民族・階層・世代によって多様です。一つのアクセントだけを英語全体の基準にすると、現実の英語を狭く捉えてしまいます。
ラボフ研究の限界と注意点
- 集団傾向を個人へ直結できない:社会集団の平均差から、一人の属性や考え方を決めつけることはできません。
- 社会階層は単純ではない:職業・収入・教育など複数の指標があり、地域や時代で意味も変わります。
- 観察者のパラドックス:自然な会話を調べたい一方、録音や調査者の存在が話し方を変える可能性があります。
- 初期研究のカテゴリには時代的制約がある:現代ではジェンダー、民族性、移動、社会ネットワークなどをより複合的に扱います。
- 発音差に価値判断を持ち込まない:「威信が高い」は言語学的に優れているという意味ではなく、社会的評価の記述です。
まとめ:話し方の違いには社会と歴史が見える
ウィリアム・ラボフは、実際の話し言葉を集めて数量的に分析し、言語の変異が社会・地域・場面と規則的に結びつくことを示しました。
- ニューヨーク百貨店調査では、/r/ の発音と店舗の社会的評価、発話スタイルの関係を調べた
- 同じ人でも、注意の向け方や相手によって話し方を変える
- 言語変異は気まぐれではなく、複数の要因と確率的に結びつく
- 世代差と再調査から、進行中の言語変化を捉えられる
- 方言や非標準変種にも規則があり、標準性と優劣は同じではない
英語を「一つの正解」だけで見るのではなく、誰が、どこで、誰に、どんな目的で話しているかを見る。ラボフの社会言語学は、現実の英語を理解するためのこの視点を定着させました。
参考文献・参考資料
- William Labov, “The Social Stratification of (r) in New York City Department Stores”.
- William Labov, The Social Stratification of English in New York City, 1966.
- William Labov, Sociolinguistic Patterns, 1972.
- University of Pennsylvania Almanac, “William Labov, Linguistics”.










