
英語の文法は、最初から完成したルール集として存在したわけではありません。人が話し、聞き、書く中で形を変え、その変化を後から研究者が記述してきました。
オットー・イェスペルセン(Otto Jespersen, 1860–1943)は、英語の音・語・文法を歴史と実際の用法の両方から調べたデンマークの言語学者です。英語史、一般文法、音声学、外国語教育までを横断し、20世紀前半の言語研究に大きな足跡を残しました。
しゅみすけ(大山俊輔)
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オットー・イェスペルセンとは?英語を生涯研究したデンマークの言語学者
イェスペルセンは1860年にデンマークで生まれ、コペンハーゲン大学で学びました。若い頃から当時の外国語教育改革に関わり、音声学を取り入れ、翻訳や暗記だけに偏らず、話し言葉を重視する教育を支持しました。
1893年からコペンハーゲン大学教授を務め、英語の音声・文法・歴史だけでなく、言語の成り立ちや国際補助語にも研究を広げました。専門分野を細かく分けるより、音・文法・意味・歴史・教育をつなげて考えた研究者だったといえます。
最大の仕事『歴史的原理に基づく現代英語文法』
代表作の一つが、全7巻の大著 A Modern English Grammar on Historical Principles です。第1巻は1909年に刊行され、最終巻はイェスペルセンの死後、ニールス・ハイスルンドの編集によって1949年に完成しました。
題名にある「歴史的原理」が重要です。たとえば現在の英語で不規則に見える語形や語順も、古英語・中英語からの変化を追うと、なぜその形になったのかが見える場合があります。イェスペルセンは大量の実例を集め、英語を静止した規則ではなく、時間の中で動く体系として記述しました。

『文法の哲学』が示した「生きた文法」
1924年の The Philosophy of Grammar(『文法の哲学』)では、文法カテゴリーを単に学校文法の名称として並べず、話し手と聞き手の活動、意味、文の組み立て方から捉え直しました。冒頭の章名も「Living Grammar(生きた文法)」です。
イェスペルセンにとって言語の中心は、一人が何かを伝え、もう一人がそれを理解しようとする活動でした。そのため、文法形式だけでなく、話し手が何を表そうとし、聞き手がどう受け取るかも分析の視野に入ります。
ランク:語が文の中で担う役割
イェスペルセンは語の関係を説明するため、primary(一次)、secondary(二次)、tertiary(三次)という「ランク」の考え方を示しました。たとえば extremely hot weather では、中心となる weather、それを限定する hot、さらに hot を修飾する extremely が異なる階層を作ります。
この用語体系が現代文法でそのまま標準になったわけではありません。しかし、単語の品詞名だけでなく、文の中で他の語とどんな関係を結ぶかを見る発想は、統語研究を考えるうえで重要でした。
ジャンクションとネクサス
イェスペルセンは、語が一まとまりの名詞句を作る関係を junction、主語と述語のように「何かについて何かを述べる」関係を nexus と区別しました。現代の統語論とは分析枠組みも用語も異なりますが、文内部の関係を精密に分けようとした試みです。
「大母音推移」という名前を与えた
イェスペルセンは1909年の文法書第1巻で、英語史上の長母音の大規模な変化に Great Vowel Shift(大母音推移)という名称を与えました。変化そのものは彼以前にもエリス、スウィート、ルイクらが研究していましたが、イェスペルセンの名称と図式化が、その現象を一つの大きな連鎖として理解する助けになりました。
大母音推移の内容は人物記事とは分け、「大母音推移とは?英語の発音とスペルが一致しない理由」で詳しく解説しています。
否定表現の変化を示す「イェスペルセンの循環」
イェスペルセンは1917年の Negation in English and Other Languages で、否定表現が歴史の中で強められ、やがて新しい標準形になり、再び弱まることがあると論じました。後にこの反復的な変化は「イェスペルセンの循環」と呼ばれます。
典型例としてよく扱われるのがフランス語の否定です。もともとの否定要素が弱まり、強調のために別の語が加わり、その追加要素が通常の否定標識へ変わっていきます。これは文法が固定物ではなく、話し手の強調や使用頻度によって変化することを示す好例です。
外国語教育にも残した足跡
イェスペルセンは言語理論だけでなく、外国語をどう教えるかにも関心を持ちました。19世紀末から20世紀初頭の改革運動では、訳読と文法暗記に偏る授業を見直し、発音、話し言葉、意味のある文脈を重視しました。
ただし、現代のコミュニカティブ・アプローチをそのまま先取りしたと断定するのは行き過ぎです。当時の直接教授法や改革運動の文脈に位置づける必要があります。それでも、言語研究と教室での実践を切り離さなかった点は、現在の英語教育にも通じます。
しゅみすけ(大山俊輔)
現在から見ると注意が必要な考え方
イェスペルセンの著作すべてが現在も受け入れられているわけではありません。特に、言語変化を「進歩」や「効率化」と評価する傾向は、変化を優劣ではなく記述すべきだとする現代言語学から慎重に扱われます。
また1922年の Language: Its Nature, Development and Origin にある女性の言語についての議論は、男性の言語を基準に女性の話し方を不足として見る偏りを含み、後のジェンダーと言語研究から強く批判されてきました。当時の社会的文脈を確認することは必要ですが、歴史的影響と現在の妥当性を区別して読む必要があります。
ランク、ジャンクション、ネクサスなどの分析も、現代理論でそのまま採用されているわけではありません。イェスペルセンの価値は「すべて正しかった」ことではなく、膨大な用例と歴史資料をもとに、文法を広い視野で問い直したことにあります。
イェスペルセンから英語学習者が学べること
- 不規則に見える形にも歴史がある:現在のルールだけでなく、過去からの変化を見ると理解しやすくなります。
- 文法は実際の用法から離せない:話し手の意図、聞き手の理解、文脈を合わせて考えることが大切です。
- 用語は分析の道具である:名称を暗記するより、語同士がどんな関係を作るかを見るほうが本質的です。
- 古典的研究も批判的に読む:功績と時代的な偏りを分けて評価する必要があります。
英語が歴史の中で規則的に変わることを示した研究者については、「ヤーコプ・グリムとは?」もあわせて読むと、歴史言語学の流れがつながります。
まとめ:文法を「使われ、変化するもの」として見た研究者
オットー・イェスペルセンは、英語文法、英語史、音声学、外国語教育をつなぎ、英語を実例と歴史から記述した研究者です。全7巻の現代英語文法、『文法の哲学』、大母音推移の命名、否定表現の循環など、その仕事は幅広い分野に残っています。
一方で、言語の進歩観やジェンダー論には現在から見て明確な限界があります。功績だけを神話化せず、批判も含めて読むことで、文法研究そのものが歴史の中で更新されてきたことも見えてきます。










