
英語では、The woman saw the man. と The man saw the woman. の語順を入れ替えると、見る人と見られる人が逆転します。日本語なら「女性が男性を見た」「男性が女性を見た」と助詞で区別します。
では、語順や格助詞とは別に、動詞へ「行為の矢印が、文法上目立つ参加者から遠い参加者へ向かうのか、その逆なのか」を刻む言語があるとしたらどうでしょう。
この仕組みが直接・逆行体系(direct–inverse system)です。特に北米のアルゴンキン諸語でよく知られています。
しゅみすけ(大山俊輔)
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直接・逆行体系とは?
直接・逆行体系は、他動詞の行為者と対象が、言語ごとの人称階層・有生性階層・卓立性階層のどこに位置するかを比べ、動詞の形を変える仕組みです。
- DIRECT(直接):階層の高い参加者が、低い参加者へ働きかける
- INVERSE(逆行):階層の低い参加者が、高い参加者へ働きかける
模式的には、次のように考えます。
私 → 彼:発話参与者である「私」から三人称へ向かうためDIRECT型
彼 → 私:三人称から発話参与者へ向かうためINVERSE型
ただし、これは仕組みを理解するための単純化です。実際の階層では一人称と二人称の順位、包括・除外、数、近接・遠隔などが関わり、どの組み合わせで直接/逆行を区別するかも言語ごとに異なります。
「階層が高い」とは偉いという意味ではない
ここでいう階層は、人間の価値や社会的地位を表しません。会話の場にいる話し手・聞き手、生命を持つもの、現在の談話で中心となるものほど、文法的に識別しやすく注目されやすいという順序です。
よく見られる要素を模式的に並べると、次のようになります。
話し手・聞き手 > 談話の中心にいる三人称 > 背景的な三人称 > 無生物
アルゴンキン諸語の研究では、たとえば次のような階層が示されます。
一・二人称 > 有生・近接三人称 > 有生・遠隔三人称 > 無生三人称
ただし、一人称と二人称のどちらを上に置くかは言語によって異なります。したがって、世界共通の一本の階層があるわけではありません。
行為の向きを反転すると、動詞の標識が変わる

直接・逆行体系では、動詞に付く人称標識が「参加者Aと参加者Bが関わる」ことを示し、直接/逆行標識が「どちらが行為者か」を解決する場合があります。
| 出来事 | 英語 | 日本語 | 直接・逆行型の発想 |
|---|---|---|---|
| 私が彼を見る | I see him. | 私が彼を見る | 高位→低位:DIRECT |
| 彼が私を見る | He sees me. | 彼が私を見る | 低位→高位:INVERSE |
英語はI/me、he/himという代名詞の格と語順を使います。日本語は「が/を」を使います。直接・逆行体系を持つ言語は、これらとは異なる角度から、動詞上の方向標識を利用するのです。
INVERSEは受動態ではない
最も重要な注意点です。INVERSEは英語の受動態と同じではありません。
能動:The man saw me.
受動:I was seen by the man.
英語の受動態では、対象だったIが主語位置へ移り、行為者the manはby句になったり省略されたりします。構文の他動性が下がると分析されることもあります。
一方、典型的な逆行構文では、行為者と対象の両方が通常の参加者として残り、他動詞としての関係も維持されます。変わるのは、動詞が「階層の低い側から高い側への作用」を示すことです。
| INVERSE | 受動態 | |
|---|---|---|
| 何を示すか | 階層に対する行為の向き | 対象を主語・話題側へ出す構文 |
| 行為者 | 主要参加者として保たれる | by句化・省略が可能 |
| 他動性 | 典型的には維持される | 構文上変化する |
| 基準 | 人称・有生性・談話的卓立性 | 主語・目的語などの統語関係 |
Guillaume JacquesとAnton Antonovも、標準的な直接・逆行体系の特徴として、直接/逆行標識が相互排他的に現れ、他動詞の参加者関係を保つ点を重視しています。
近接(proximate)と遠隔(obviative)
アルゴンキン諸語を理解するうえで重要なのが、三人称同士の区別です。英語では男性が二人登場すると、どちらもheになり、指示が曖昧になることがあります。
一部のアルゴンキン諸語では、談話の中心となる三人称を近接(proximate)、それより背景にいる三人称を遠隔(obviative)として区別します。
- 近接三人称:今の物語で中心的・注目されている人物
- 遠隔三人称:もう一人の背景的な人物
近接者が遠隔者へ働きかければDIRECT、遠隔者が近接者へ働きかければINVERSEになります。これにより、二人とも三人称でも、誰が誰に何をしたかを動詞の形で追跡できます。
これは前回まで扱ったスイッチ・リファレンスやロゴフォリシティと同じく、言語が物語の登場人物をどう管理するかという大きな問題につながります。
有生性階層とのつながり
直接・逆行体系の背後には、人間・動物・無生物を同じように扱わない言語的な傾向があります。詳しくは有生性階層とは何かで解説しています。
人間、とりわけ話し手と聞き手は、会話の中で最も識別されやすい存在です。そのため「三人称が私に働きかける」のように、低い側が高い側へ作用すると、特別な標識を付ける言語があります。
ただし「有生性が高ければ必ず行為者になる」という意味ではありません。むしろ逆行標識は、階層上目立つ参加者が対象になったときにも、誰が行為者かを明確にするための仕組みです。
英語は語順と代名詞の格で解く
英語では、主語を動詞の前、目的語を後ろに置くのが基本です。
I see him.
He sees me.
I/me、he/himの形も、行為者と対象の区別を助けます。そのため英語は、文法的卓立性の方向を専用のDIRECT/INVERSE標識で示す必要がありません。
ただし英語にも、人間や特定的な対象を目立たせる傾向、受動態で対象を話題化する仕組み、代名詞を固有名詞より前景化する働きがあります。解いている問題は共通ですが、英語は語順・格・態・談話構造へ仕事を分配しています。
日本語は「が/を」と省略で解く
日本語では助詞が役割を示すため、語順をある程度変えられます。
私は彼を見た。
彼を私は見た。
どちらも「が/は」側が見る人、「を」側が見られる人です。また、談話から分かれば主語や目的語を省略します。
日本語の「あげる/くれる」は、物や恩恵の移動が話し手側へ向かうか外へ向かうかを区別するため、直接・逆行的な発想と比較されることがあります。
私は花子に本をあげた。
花子が私に本をくれた。
ただし、日本語全体が標準的な直接・逆行言語という意味ではありません。「あげる/くれる」は授受・共感方向を語彙的に区別する仕組みであり、すべての他動詞へ義務的な直接/逆行標識を付ける体系とは異なります。
しゅみすけ(大山俊輔)
「直接・逆行」という名前に惑わされない
日本語の「逆行」は、逆らう、異常、後ろ向きといった印象を与えます。しかし言語学上は、あらかじめ設定された階層と反対方向に作用するという技術的な名称です。
話し手が見られる、中心人物が助けられる、無生物が人間に影響する。こうした出来事は日常的です。INVERSE標識は、その出来事を不自然扱いするのではなく、階層と意味役割が一致しないことを効率よく知らせる装置なのです。
まとめ:動詞に「誰から誰へ」の矢印を刻む言語
直接・逆行体系とは、他動詞の参加者を人称・有生性・談話上の卓立性によって並べ、行為が高い側から低い側へ進むならDIRECT、低い側から高い側へ進むならINVERSEと示す仕組みです。
INVERSEは受動態ではありません。行為者と対象を保ったまま、二者の関係の向きを動詞上で示します。アルゴンキン諸語では、近接・遠隔の区別と組み合わさり、三人称同士の人物追跡にも働きます。
「英語とは何か」を考えるとき、SVO語順を当然の仕組みと思わず、世界には動詞へ矢印そのものを刻む言語があると知る。すると英語の固定語順も、誰が誰に働きかけたかを伝えるために英語が選んだ一つの設計として見えてきます。










