手話は言語なのか?音声を使わずに語彙・文法・思考をつくる仕組み

手話で会話する人々と、語彙・文法・思考をつくる仕組み

手話は言語なのでしょうか。

結論からいえば、手話は完全な自然言語です。音声の代わりに、手の形・位置・動き・向き、顔の表情や身体の動き、そして話し手の前に広がる空間を使って、語彙と文法を組み立てます。

これは「身振りをたくさん覚えた伝達法」でも、「話し言葉を手で一語ずつ置き換えたもの」でもありません。冗談を言い、嘘をつき、比喩をつくり、過去を語り、まだ存在しない未来を相談できる。世代から世代へ受け継がれ、地域差や世代差を生み、社会のなかで変化していく。手話には、私たちが「言語とは何か」を考えるための要素が、すべてあります。

「言語」と聞くと、つい口から出る音を思い浮かべます。でも手話を見ると、言語の本体は音ではなく、差異を組み合わせ、意味を共有できる仕組みのほうだと分かります。

しゅみすけ(大山俊輔)

手話は「世界共通のジェスチャー」ではない

最初に解いておきたい誤解があります。「手話なら国が違っても通じる」というものです。

実際には、世界には多数の手話言語があります。日本手話、アメリカ手話(ASL)、イギリス手話(BSL)などは、それぞれ異なる語彙と文法をもつ別の言語です。英語を話すアメリカとイギリスでさえ、ASLとBSLは同じではありません。逆にASLは、その成立史からフランス手話との関係が深いとされます。音声言語の国境と手話言語の系統は、きれいには重ならないのです。

国連も、手話を音声言語とは構造の異なる、十分に発達した自然言語だと位置づけています。異なる手話の使用者が国際的な場で使う「国際手話」もありますが、これは世界中のろう者が同じ母語を共有しているという意味ではありません。

手話は、音声言語を手で写したものでもない

日本で使われる手話を考えるときには、「日本手話」と、音声日本語の語順や表現に対応させる傾向の強い「日本語対応手話」という区別が語られます。ただし、現実の使用は二つの箱に完全に分かれるわけではなく、話者、場面、地域、世代によって連続的で、多様です。

大切なのは、自然言語として育ってきた日本手話が、音声日本語とは異なる独自の文法をもつことです。日本語の単語を順番どおり手の動きに変換すれば、そのまま日本手話になるわけではありません。

同じことはASLにもいえます。米国国立聴覚・コミュニケーション障害研究所は、ASLを英語とは異なる文法をもつ完全な自然言語と説明しています。「英語を手で話す」のではなく、ASLで考え、ASLの文法で表現するのです。

音がないのに「音韻」がある

ここが、言語を考えるうえで特に面白いところです。言語学でいう「音韻」とは、単に音そのものではなく、語の意味を区別する最小単位の体系を指します。

手話では、たとえば次の要素の一つが変わるだけで、別の語や表現になることがあります。

  • 手の形:指をどう開くか、握るか
  • 位置:顔の近くか、胸の前か、空間のどこか
  • 動き:方向、回数、速さ、軌道
  • 向き:手のひらや指先をどちらへ向けるか
  • 非手指要素:眉、目、口、頭、上体など

音声言語で「か」と「た」の違いが語を分けるように、手話では手の形や位置の小さな違いが意味を分けます。つまり、音はなくても、言語を支える構造はある。ここから、音声は言語の本体ではなく、言語を実現する媒体の一つだと見えてきます。

手の形・位置・動き・向き・表情と身体が同時に意味をつくる図

手話の文法は「同時に重なる」

音声は、基本的に時間の流れに沿って一音ずつ並びます。もちろん抑揚や声質は重なりますが、単語の列は直線的です。

手話では、左右の手、顔、視線、上体、空間を同時に使えます。手が語彙的な内容を示しているあいだに、眉や頭の動きが疑問、否定、条件などを標示することがあります。動きの速さや反復が、出来事の様子や継続を表すこともあります。

また、目の前の空間に人物や場所を割り当て、あとからその位置を指したり、動詞の方向を変えたりして関係を示せます。これは単なる「あそこ」という指差しではありません。談話のなかで参照先をつくり、その関係を文法的に保つ操作です。

手話の文法は、単語を横一列に並べるだけではなく、複数の層を同時に編む文法なのです。

表情は「感情のおまけ」ではない

聞こえる人が手話を見ると、表情の豊かさをまず感情表現として受け取ることがあります。しかし手話では、表情や頭の傾き、身体の向きが文法を担う場合があります。

たとえば眉の動きや視線は、疑問文の種類、話題の提示、条件節などに関わります。もちろん個人の感情も表しますが、文法的な顔の動きと、感情としての表情は同じものではありません。

音声言語でも、語尾を上げる、間を置く、強く読むことで解釈が変わります。手話の非手指要素は、それ以上に体系的に文の一部へ組み込まれます。顔を無視して手だけを追うことは、話し言葉からイントネーションや助詞を削って聞くことに近いのです。

「形が意味に似ている」なら、言語ではないのか

手話には、対象の形や動きを連想しやすい表現があります。これを類像性(アイコニシティ)といいます。そのため、「見れば意味が分かる絵のようなもの」と考えられがちです。

しかし、連想しやすさと世界共通性は別です。同じ概念でも手話言語によって表し方は異なり、共同体のなかで慣習として学ばなければ正確には使えません。使われ続けるうちに形や意味も変わります。

そもそも音声言語にも、擬音語、音象徴、語感など、音と意味の似つきがあります。言語は完全に恣意的でも、完全に写像的でもありません。手話は、視覚と空間を使うために類像性を活用しやすい。それは言語性の欠如ではなく、媒体の特性を文法へ取り込んだ結果です。

指文字は手話の一部であって、手話そのものではない

もう一つ混同されやすいのが指文字です。指文字は、手の形で文字を表す体系で、人名や地名、専門語、借用語などに使われます。しかし、すべての発話を一文字ずつ綴ることが手話ではありません。

音声日本語で、漢字の読み上げが日本語の全体ではないのと同じです。指文字は便利な資源ですが、手話には固有の語彙と文法があります。

同様に、標準的な書記体系が広く使われていないことも、手話が言語でない理由にはなりません。人類史では、話し言葉だけで受け継がれてきた言語のほうが圧倒的に多い。文字は言語を記録する技術であり、言語そのものではないからです。

子どもは手話を「教科」としてではなく獲得する

ろうの子どもが、幼い時期から十分な手話に触れられる環境で育つと、手話を自然に第一言語として獲得します。語彙を増やし、文法を発達させ、間違いながら規則を組み立てていく過程には、音声言語を獲得する子どもとの共通点があります。

乳児期には、意味のある手話になる前の反復的な手の動きが「手の喃語」として研究されてきました。これは、言語を獲得する脳が、音だけを待っているのではなく、周囲から届く体系的な言語入力を探していることを示唆します。

ここで重要なのは、聴覚の有無を能力の上下として見ることではありません。問題になるのは、子どもが早期から十分にアクセスできる言語をもてるかどうかです。言語へのアクセスは、学習だけでなく、家族との関係、自己理解、抽象的思考、社会参加の土台になります。

脳は手話を「身振り」ではなく言語として扱う

脳画像研究では、手話を理解・産出するとき、音声言語と大きく重なる左半球の言語ネットワークが働くことが繰り返し報告されています。そのうえで、視覚や空間、運動を処理する経路も、手話という媒体に応じて関わります。

手話の神経科学研究のレビューが示すのは、「音声用の脳」と「手話用の別の脳」があるという単純な話ではありません。人間の脳には、媒体を越えて語彙・統語・意味を扱う言語機能があり、それが耳と口にも、目と手にも接続できるということです。

この点は、言語と思考の関係にも重要です。抽象的な思考は音声を必要としません。手話でも、存在しないものを想像し、因果を議論し、比喩をつくり、自分の考えそのものを考えられます。

手話にも方言、若者ことば、変化がある

自然言語である以上、手話も均一ではありません。地域による語彙の違い、世代差、学校や共同体による変異、新しい表現、流行、言い換えがあります。ASLにも地域差があることは、NIDCDの解説でも紹介されています。

これは「統一されていない未完成な体系」だからではありません。日本語に関西弁があり、英語に地域・階級・世代による違いがあるのと同じです。変異は、言語が人々の生活のなかで使われている証拠です。

そして手話は、単なる情報伝達手段だけではありません。ろう者の共同体、教育の歴史、文化、アイデンティティと結びついています。言語を一つ失うことが、その言語で蓄積された視点や物語を失うことにつながるのは、手話でも音声言語でも変わりません。これは言語と社会・権力の問題でもあります。

身振りと手話の境界から、言語の起源も見えてくる

私たちは音声で話しているときも、手を動かし、顔を変え、視線を使います。身振りは音声言語の外側にある飾りではなく、日常のコミュニケーションに組み込まれています。

では、身振りと手話の違いは何でしょう。大まかにいえば、個人的・その場的な身振りに対し、手話は共同体で共有され、語彙と文法をもち、新しい文を際限なくつくれる体系です。ただし、その境界を調べることは、言語の起源を考える手がかりにもなります。人類の言語が音声から始まったのか、身振りから始まったのか、あるいは両者を組み合わせて発達したのかは、今も研究が続く問いです。

手話は「音声が使えないときの代用品」ではありません。むしろ手話があるからこそ、音声を取り除いたあとにも残る、言語の骨格が見えるんですよね。

しゅみすけ(大山俊輔)

手話が教えてくれる「言語の本体」

手話を言語として見ると、「言語=声」という思い込みが外れます。残るのは、差異を組み合わせること、規則によって新しい表現をつくること、文脈のなかで意味を調整すること、他者と注意や意図を共有することです。

音声言語と手話言語は、使う身体の回路が違います。しかし、どちらも人間が世界を切り分け、経験を記憶し、他者と関係をつくるための言語です。

英語を学ぶことも、結局は音を正確にまねるだけではありません。異なる語彙、語順、視点、文脈の使い方に入り直すことです。手話は英語学習の周辺にある特殊な話題ではなく、「そもそも私たちは何を学ぶとき、言語を学んだといえるのか」を照らす、中心的な問いなのです。

よくある疑問

手話は世界共通ですか?

いいえ。日本手話、ASL、BSLなど、多数の異なる手話言語があります。国際的な交流で使われる国際手話もありますが、世界共通の一つの母語ではありません。

手話は日本語や英語を手で表したものですか?

自然言語としての手話は、それぞれ独自の語彙と文法をもちます。音声言語の語順に対応させる表現法も存在しますが、それと自然手話を同一視することはできません。

顔の表情がなくても手だけで通じますか?

語によっては理解できても、表情、視線、頭や身体の動きが文法情報を担うため、手だけでは重要な意味が落ちることがあります。

文字がないなら、言語として不完全では?

いいえ。言語と文字は別です。文字は言語を記録する技術であり、標準的な文字をもたない言語も完全な言語です。

手話が音声なしに成立するのと同じく、言語は文字がなくても成立します。両者の違いは言語と文字の関係で掘り下げています。

手話が音声なしに成立するのと同じく、言語は文字がなくても成立します。両者の違いは言語と文字の関係で掘り下げています。

音声の有無に続き、意図的に設計された体系が言語になる条件は、人工言語と共同体の関係で掘り下げています。

関連:手話と音声言語を同時に表現するコードブレンディングは、バイリンガルの頭の中に言語は二つあるのかで紹介しています。

この記事を書いた人
しゅみすけ(大山俊輔)

b わたしの英会話および英語コーチングGRIT/be:RIZE代表。米国MBA取得、外資系企業4社での勤務経験を持ち、これまで多くの大人の英語学習を支援。日本語と英語の処理構造の違いに着目した「英語OS」の考え方をもとに、独学で伸び悩む人の学び直しをサポートしています。

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