安田敏朗とは?近代日本の「国語」はどのように作られたのか

安田敏朗と近代日本の国語政策を表すイラスト

私たちは学校で「国語」を学び、テレビや新聞では共通語に触れています。そのため、日本には昔から一つの国語があり、それが自然に全国へ広がったように感じるかもしれません。

しかし、近代日本の「国語」は、最初から完成した一枚岩ではありませんでした。地域ごとに異なることばが使われるなかで、国家が一つの基準を選び、学校・軍隊・官僚制・出版・放送などを通じて広めてきた歴史があります。

この過程を、制度から取り残されたことばや話者にも目を向けて研究してきたのが、言語政策史の研究者・安田敏朗(やすだ としあき)です。本記事では、安田の研究を手がかりに、標準語の利便性と、その普及にともなった負担の両面を見ていきます。

安田敏朗とは?近代日本の「国語」史を問う研究者

安田敏朗は1968年神奈川県生まれ。一橋大学大学院言語社会研究科で教鞭を執り、近代日本の「国語」史と言語政策論を専門とする研究者です。1996年には東京大学へ「近代『国語』の歩み―帝国日本の言語政策」を提出し、博士(学術)を取得しました。

研究テーマは、近代日本で「国語」という枠組みが成立した過程、標準語と方言の関係、植民地における日本語教育、多言語主義、そして現代の「やさしい日本語」にまで及びます。

安田の問いの特徴は、「どのことばが正しいか」だけで終わらず、誰が基準を決め、誰がその基準へ適応する負担を負ったのかを見る点にあります。

「日本語」と「国語」は同じなのか

日常では「日本語」と「国語」をほぼ同じ意味で使うことがあります。しかし歴史を見ると、両者は完全には重なりません。

  • 日本語:言語そのものを指す名称
  • 国語:国家の教育・行政・国民統合と結びついた制度的な名称

つまり「国語」は、単なることばの名前ではありません。「国民が共有すべきことば」という価値判断を含みます。そこでは、何を標準とし、何を方言や外国語として周辺へ置くかという線引きが生まれます。

田中克彦が論じた国家・母語・標準語の関係を、近代日本の具体的な制度史として追うのが、安田の研究の重要な側面です。

近代日本の共通語はどう作られたのか

地域のことばから標準語が選ばれ学校や出版で広がる過程の図解

1.国民国家に共通のことばが必要とされた

明治期の中央集権国家は、全国共通の教育、法律、徴税、軍隊、行政を整える必要がありました。地域を越えて通じることばは、人の移動や識字、公的情報へのアクセスを助けます。

ただし、ここで重要なのは「共通語が必要だった」という事情と、「どのことばを基準にし、どう普及させたか」は別の問題だということです。

2.一つの話し方が「標準」として選ばれた

近代の標準語は、全国のことばを均等に混ぜて自然発生したものではありません。東京の教養層の話しことばなどを土台に、教育に使える規範として整えられていきました。

文法書や辞書、教科書は「正しい日本語」の輪郭を作ります。その結果、標準から離れた話し方は、単なる違いではなく「訛り」「誤り」と評価されやすくなりました。

3.学校・出版・放送が全国へ広げた

共通語は学校教育だけでなく、官公庁、軍隊、新聞、出版、ラジオなどを通じて広がりました。普及には一人の設計者がいたわけではなく、制度や媒体が重なりながら進みました。

森有礼の国語構想はその初期の問題意識を映しますが、現実の標準語形成は、提案一つで決まったのではありません。

共通語がもたらした利益

標準語や共通語には、明確な実用的利益があります。

  • 地域を越えて教育や仕事に参加しやすくなる
  • 法律・医療・災害情報を広く共有できる
  • 出版や放送を通じて知識へアクセスできる
  • 異なる地域の人どうしが意思疎通しやすくなる

言語政策を批判的に見ることは、共通語そのものを否定することではありません。問題は、その便利さを得るための学習負担や不利益が、特定の話者だけに集中していないかです。

しゅみすけ(大山俊輔)

共通語があるから、遠くの人とも学び、働き、助け合えます。ただし、「通じること」と「一つの話し方だけが正しいこと」は同じではありません。

標準語の普及で見えにくくなった負担

方言は「直すべきもの」とされた

学校などで方言を使った児童に札を持たせる「方言札」は、方言抑圧の象徴として知られています。ただし、全国一律に中央政府が同じ方式で命じた単一の政策と考えるのは正確ではありません。時期や地域、学校によって運用には差がありました。

それでも、標準語を身につけることが進学や就職の条件となり、地域のことばを恥じさせる圧力が働いたことは重要です。ことばを矯正される経験は、発音だけでなく、家庭や土地への自己評価にも影響します。

アイヌ語や琉球諸語が周辺化された

近代国家が日本語による教育を広げる一方、アイヌ語や琉球諸語などは、公教育や公的領域で使える範囲を狭められました。これは、単に「便利な共通語を追加した」だけではありません。既存のことばを次世代へ継ぐ条件そのものが弱くなることがあります。

植民地では日本語が統治と同化に結びついた

台湾や朝鮮など日本の植民地では、日本語教育が行政や学校制度と結びついて展開されました。ただし、政策の時期、制度、強制の度合い、現地の受け止め方は地域ごとに異なります。

共通して問えるのは、日本語を使えることが教育・就業・公的参加への入口となる一方、現地の言語を使う自由や社会的評価が制限されたという非対称性です。安田の研究は、日本語を学んだ側の経験を「普及の成功」だけで片づけない視点を促します。

言語政策は日常をどう支配するのか

言語政策というと、法律や役所の文書を想像しがちです。しかし政策は、日常の小さな判断にも現れます。

  • 学校でどの発音を正解とするか
  • 就職面接で訛りをどう評価するか
  • 役所や病院が何語で案内するか
  • 通訳・翻訳の費用を誰が負担するか
  • 子どもの家庭言語を教育資源と見るか、障害と見るか

制度が「標準」を置くと、標準をすでに使える人は自分の有利さに気づきにくくなります。一方、標準から遠い人は、内容を学ぶ前に、まず制度のことばを学ばなければなりません。

「多言語社会」と言うだけでは足りない

多様な言語を尊重すると宣言することは大切です。ただし、標識に数言語を添えたり、イベントで文化を紹介したりするだけで、話者の権利が保障されるとは限りません。

学校、医療、司法、災害対応などで、実際に通訳・翻訳・母語支援へ人員と予算を配分しているか。安田の批判的な視点は、「多言語」という美しい言葉の裏で、適応責任が外国人や少数言語話者へ戻されていないかを確認させます。

「やさしい日本語」は助けになるのか

庵功雄の「やさしい日本語」は、行政情報や災害情報を伝えやすくし、日本語母語話者側の歩み寄りを促す実践です。これは大きな価値があります。

同時に、安田は「やさしい日本語」を無条件の解決策として扱うことに慎重です。やさしい日本語が、必要な通訳・翻訳を省く口実になったり、日本語への適応だけを求めたりすれば、言語間の力関係は変わりません。

大切なのは、やさしい日本語、各言語への翻訳、通訳、母語教育を、状況に応じて組み合わせることです。

しゅみすけ(大山俊輔)

「わかりやすく言い換えたから十分」とは限りません。相手が理解できたか、必要な情報へ同じように到達できたかまで見て、初めて負担を分け合えます。

安田敏朗の議論を単純化しないために

言語政策の歴史を考える際には、次の点も押さえておく必要があります。

  • 共通語の普及は、強制だけでなく、話者自身の移動・教育・表現の欲求にも支えられた
  • 標準語を学んだ人々は、それを受け身で模倣しただけでなく、自分たちの表現へ作り変えた
  • 政策は時代や地域で異なり、中央政府だけでなく学校・メディア・職場など多くの主体が関与した
  • 方言や少数言語を尊重することと、共通語を公共資源として整えることは両立できる

したがって、結論は「標準語をなくせばよい」ではありません。共通語の利益を保ちながら、他のことばを劣ったものにせず、適応の費用を社会全体で分担することが課題です。

英語学習にどうつながるか

安田の視点は、日本人の英語学習にもそのまま応用できます。

標準英語は便利な道具だが、唯一の英語ではない

学校で学ぶ標準的な英語は、試験や国際的な場で役立つ共有ルールです。しかし、それを母語話者らしさの序列に変える必要はありません。本名信行のアジア英語論が示すように、英語は多様な話者に使われ、変化しています。

学習者だけに負担を背負わせない

英語が必要な場面で、非英語母語話者だけに完璧な適応を求めると、言語能力が参加資格になります。母語話者や組織も、話す速度を落とす、平易に書く、通訳や字幕を用意するなど、理解の責任を分担できます。

英語の国際性と支配性を同時に見る

英語は人と知識をつなぐ一方、他言語で得られる教育や研究の機会を狭めることがあります。津田幸男の英語支配と言語平等論と合わせると、英語を学ぶ実利と、英語だけを当然とする制度への批判を両立できます。

英語や言語を研究してきた人物を、世界の言語学と日本の英学・翻訳・教育という二つの流れからたどる場合は、中間ガイド「言語を研究した人々|英語・言語学の歴史を変えた研究者・英学者」をご覧ください。

まとめ:共通語の便利さと、ことばの平等を両立する

安田敏朗の言語政策史は、私たちが自然なものと思いがちな「国語」を、歴史のなかで作られた制度として見直します。

  • 近代日本の国語は、学校・行政・出版・放送などを通じて形成された
  • 共通語は教育や移動を助けた一方、方言・少数言語・植民地の話者に不均衡な負担を生んだ
  • 言語政策は法律だけでなく、学校や職場の日常的な評価にも現れる
  • 多言語共生には、理念だけでなく通訳・翻訳・母語支援への資源配分が必要である
  • 英語でも、標準を道具として学びながら、多様な英語と話者を劣位に置かないことが大切である

共通語を持つことと、ことばの多様性を守ることは、二者択一ではありません。問い続けるべきなのは、誰のことばが「普通」とされ、誰がそこへ近づく費用を払っているのかです。

参考資料

国語政策を、方言・標準語・教育・権力の広い関係から捉えるには、「言語と社会とは?」もあわせてご覧ください。

この記事を書いた人
しゅみすけ(大山俊輔)

b わたしの英会話および英語コーチングGRIT/be:RIZE代表。米国MBA取得、外資系企業4社での勤務経験を持ち、これまで多くの大人の英語学習を支援。日本語と英語の処理構造の違いに着目した「英語OS」の考え方をもとに、独学で伸び悩む人の学び直しをサポートしています。

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